Western Australia Part 1

■ 1997年 7月 9日  Fitzroy Crossing 295km無給油の旅
西オーストラリアに入ったはいいが、地図を見る限りでは街が極端に少ない。
まさか道路の真ん中で泊まるわけにはいかないし、かといって重量級のマシンを自転車のようにかついで藪(ブッシュ)の奥に乗り入れることは出来ないし。
長距離が続きそうだ。

予定というか予想では、500㎞以上の走行が連チャン。
なるべくマシンに負担をかけないよう、低回転でのクルージングを維持。
実は、いよいよエンジンがヘタってきたのだ。
4000回転で走り通すと、夕方にはレベルゲージの窓からオイルの姿が見えなくなっている。ためしに1リットルのオイルを飲ませてみたら、それでど真ん中。
目に見える処はもちろん、下回りもチェックしたが、外側へ漏れている様子はなさそうだ。

てことは、オイルがシリンダーに入ってガソリンともども燃えているのだ。
オイル上がりかオイル下がりが起きているのだと思われる。
多分、オイル上がりだとは思うんだけど、とにかくよくないことは事実。

ところで、WAを走ってはいるものの、景色はまだノーザン・テリトリーに近いものがある。
皿を引っ繰り返したような平たい山々と見渡す限りの地平線。
これが延々と続く。

この辺りはまだ内陸部なので、海も見えない。
砂の混じった乾いた風だけが、通り過ぎるだけ。
そのせいか、心までがカサついてくる。

600㎞ほど走ったが、景色にほとんど変わりはなし。
西オーストラリアの北部、つまりオーストラリアの左肩の人口密度は極端に低いようだ。
つまりは、ガソリンスタンドもないので注意が必要。
300km近く無給油で走らなければならないトコロもある。
そう考えると、インフラ面ではノーザン・テリトリーの方がマシ。
危険性はこっちの方が上だったりするのかも。

いや、オーバーな話じゃねェぞ。
すれ違う車も明らかに少なくなっている。
ここでひっくり返ったら、手当てが遅れて死んじゃったなんてこともあり得る。
カナララからHalls Creekまではいいけど、そこから295㎞の間、何もない。

自分のバイクや車が無給油で300km走れないって人は、ジェリ缶(いま、そんな単語しらないか。やや差別用語的)が必要。
地図でもこの通り…

※Australian Road Atlas Published by Penguin Cartographic

頼みの綱はFizroy Crossing だが、スタンドが休みだったらどうする?
特に、この国の人たちは、日曜日に休む傾向があるから、その辺も気をつけて旅をしないと…特に田舎は。

オレのZ1Rは3000回転キープで320kmは走る。
Ⅱ型は20リットルタンクだしね。

まあ信号もないし、マシンを停めるのは給油か休憩のみ。
こんな感じなら、燃費がいいのは当然といえば当然。

それに、こんなところですっ飛ばしても、誰も誉めちゃくれないんだから急がず慌てず走りましょう。
走りぬいてこそのツーリングだ。

フィッツロイ・クロッシングなるキャンプ場が今日のゴール(最初は街の名前かと思ったけど、何のことはないただのキャラバンパークとホテルだった)。
疲れたんでさっさと寝ようと思ったら、ガキどもがウルサくて眠れなかった。
どこの国にも、躾のなっとらんガキはいるもんだ。

【移動距離】
Kunnunrra – Fitzroy Crossing 648km

■ 1997年 7月10日~ 7月12日 Broome 寝ている時も英語だぜ!
朝、死にかけていた(?)プラグを交換する。
どうも焼け具合にバラつきがある。
内側は熱がこもるせいか、2番3番が白焼け気味。
電極が溶けているとか深刻な様子はなかったが、オイルを喰うエンジンが心を一層ナーバスにさせる。
キャブレターもあやしいかもしれない…パースまでもってくれればいいのだが。

出発時刻は8時半。
今日も今日とて600㎞コース。
途中、Darby(ダービー)という海辺の街に立ち寄り、でっかいバオバブの木を見に行く。
このバオバブ、ただ大きいだけじゃない。
樽のような形の幹の内部はがらんどうで、入ってみると2畳くらいの広さ。

『となりのトトロ』に登場するあの木のモデルとのこと。
が、ホントはむかしむかし、護送中の囚人をこの中に閉じ込めていたのだ。
木の傍らにもちゃんと『囚人のバオバブ Prison Borb Tury』と書いてある。
あんまりめでたくない名前だ。

本日の宿はブルーム。ダーウィン以来の海である。
赤茶けた大地ばかり見ていたため、何となくホッとする。

ブルームは何が有名って『月の階段』という現象。
これは引き潮になった海に、満月が映り込んで階段のように見えることからそう呼ばれているのだ。
これを見るためにわざわざ日程を合わせて訪れる観光客もいる。

ここでの宿は久しぶりのバックパッカー。
月の階段を見ようと、大勢の日本人が滞在していた。

それと、ここには日本人墓地がある。
結構荒れ放題で、ここを訪れていた外国人観光客に「政府や国民がもっと先人に敬意を表すべきだ」と突っ込まれてしまう。
確かにおっしゃる通り。
訪れる機会があったら、草むしりくらいしましょう。

これほど多くの日本人が住んでいたのに、多くが姿を消したという…
便のいい場所じゃないから、訪れるのも大変だろうが、ラウンドでオーストラリアを旅するなら、ぜひ立ち止まって欲しい。

街にはバイク屋もあるってんで、すり減ったリアタイヤとオイルを交換。
バイク屋でテネレに乗った長嶋という男と出会う。
のテネレ、何とシドニーで一緒に暮らしていたジュンの友人が前のオーナーだったという。
前のオーナーってのがパースからシドニーまでのおよそ4000kmを3泊4日で走破したスゴイ奴で、大クラッシュで大怪我も経験。
そのエピソードから、オーストラリアを旅するライダーの間では『松葉』として知られていた。

そんな無茶をしたバイクなので、新車購入ワンオーナーだったにも関わらず、エンジンはガタガタだった。
長嶋氏に「ボンゴレ・スパゲティって好き?」と聞かれたので「うん」と答えたら、ビーチに案内された。
美味いスパゲティ屋でも連れて行ってくれるのかと思ったけど、そんなはずもなく。

どうやら、砂浜にはアサリらしきものがいて、ボンゴレにすると美味い、という。
なるほど、潮干狩りね(笑)。
だが、いくら砂浜をほじくり返しても、アサリは獲れなかった。
ブルームでは釣りにもチャレンジしてみたんだけど、風が強くて、手投げの仕掛けでは押し戻されて、これまた釣果なし。

が、ブルームのバックパッカーには、面白い奴がいっぱい。
なかでも、北海道から来たというヤツは、MVPを差し上げたくなるほどの逸材。
 
夜中、グーグー寝ていたら誰かのボソボソと喋っている声で目が覚めた。
うるせーなーと思って部屋を見回したが、人影はない。
が、相変わらず声だけが聞こえてくる。

よくよく聞いていると、声の主はひとり。
誰かが携帯でも使っているのかと首を傾げていたら、下のベッドから押し殺したような笑い声が聞こえた。

下を覗き込むと「あれだ、あれ」と向かいのベッドを指差している。
向かいのベッドのヤツはグーグー寝ながら、何かを言っている。
注意して耳をそばだてると「My name is …」と自分の名を名乗りI want to go…」と地名を言い出した。
下のベッドに寝ているヤツも気付いたのか「コイツ、バスの予約入れてるよ」と笑いを押し殺す。
あまりに可笑しかったオレたちは、耐え切れなくなり外へ飛び出した。
二人して腹を抱えたのは言うまでもない。

翌日、彼に「おはよう、○○君」と言ったら
「あれ?オレ自己紹介しましたっけ?」と首をかしげている。
「いや…別にいいんだけど、バスも予約できたし、めでたしめでたしだな」
少し間をおくと、彼は「またか!」と顔をしかめた。
「あの…寝言は英語でしたか?コリアンですか?」
「英語じゃなくて韓国語もイケるの?」
「ええ。シェアしてたヤツが韓国人だったもので…」
寝言も外国語ですか…ホント見習いたいもんである。

面白い連中が居たから、というわけではないが、ブルームの宿は妙に居心地がよかった。東海岸のような賑やかさはなく、かといって、さびれた感じではない。
肩の力を抜いて、和やかな時間を過ごすことのできる街。
それが、ブルームだった。

あとビックリしたのが宮城県出身、オレの故郷よりひっこんだところから来た女のコもいた。久々にローカルな話題で盛り上がる。
ここのワーホリ軍団もオレのことを気に入ってくれたのか
「もっといればいいのにー」とか言っちゃってくれる。
女のコたちにそういうことを言われると、本当に弱い。
けど、どんなに可愛い女の子がいても、今のオレ様はバイクが恋人、旅が人生(カッコいいなァ)。
後ろ髪をグイグイ引っ張られながらも、ブルームを発つことにする。

ここで知り合った日本人旅行者は…
長嶋さん(テネレのライダー)
ミアキ(タコ獲り名人)
マサ(英語で寝言)
ゴンちゃん(ブルームのバックパッカーで働いている。日本ではDR200に乗る)
タカハル(GSX-250の初心者ライダー)
ハカセ(Gpz750のライダー)
などなど

【移動距離】
Fitzroy Crossing – Broome 396km

■ 1997年 7月13日  Port Headland 熱気ムンムン!女性専用部屋
ブルームを出発。
今日の目的地はポートヘッドランド。
600kmくらいある。
長距離走行が慣れてきたせいか、途中で何処にも寄らなければ午前中に300kmくらい走って昼飯。

午後に300kmくらい走って暗くなる前にテント設営&夕飯の買い出しというパターンが身体に馴染んできた。
もちろん、アリス・スプリングスを走っていた時のように、寒さで休憩が長くなれば、走行距離は伸びなくなる。
なかなか思い通りにはいかないのだが、今日は大失敗。 
ブルームの宿を出る時間が遅かったせいか、夜間走行に突入してしまったのだ。

暗くなってからの走行は、すごく危険である。
街中ならまだしも、田舎道ではヘッドライトの光を目掛けて動物たちが飛び込んでくるのだ。

カンガルーなんか体当たりしてきたら、一発でアウト。
死ぬことだってある。
エミューに跳ねられたライダーもいたっていうから、なめちゃいけない。
かといって「急げ、急げ」と回転数をあげると、今度は燃費が悪くなる。
ヘタすると「ガス欠でレスキュー待ち」なんてことに…

幸い何事もなく目的地のポートヘッドランドに到着したが、街はすでに眠っている。
田舎の街って、何処もこんな感じなのか?まあ、うちの田舎もこんなものだけど…人さえ歩いていないじゃないの。
頼みの綱、キャンプ場も見つからない。

本当に困り果ててあちこち走り回っていたら、バックパッカーの看板が!
おそるおそる「空いてますか?」と宿屋のオバチャンに訊くと、女の子の部屋しかないという。部屋の女の子たちがOKというなら泊めてくれるそうだ。
 
ビクビクしながら答えを待っていたら、めでたくOK。
こんな悪党面のオトコが同じ部屋に寝るっていうのに、優しいね君たちは。
もー彼女達が天使に見えましたよ。

さて男性諸君、こーいうシチュエーションはおいしいもんだろうか?
自分以外は全て女性。
しかも、夜…一緒の部屋に寝るんだぜ?
ドキドキワクワクの夢ゴゴチだろうか。
 
答えはNOである。
女の中に男がひとりっつーのは、結構肩身が狭いもんよ。
着替えるにも、何するにも緊張してしまう。
どっちかっていうと、女の子の方が堂々と着替えしたりして(笑)。

しかも、寝静まった夜に、オナラ、歯ぎしりされてみなよ。
女性たちもさ、健康な男子がいるんだから、少しは遠慮してくれっていうか…もっと何とかしろ!と言いたい(笑)。
多感な少年だったら「ああ、あんなカワイイ女の子がァ」ってショックを受けちゃうね。
きっとそのまま女性不審になって、別の道に走っちゃうかもね。
オレぁ、そういう歳でもないから「何でもこい」だけど。
いや、別に何にもなかったが、女子たちよ、寝ている時とはいえ、もっと何とかしろ(笑)!

ちなみにここのバックパッカーでは『カリジニ国立公園』へのツアーを主催。
ロッククライミング、ウォータースライダーなど冒険が楽しめるらしい。
でも、宿屋のオヤジと息子はすごいスケベで、女の子はかなり注意すべし。
 
テナント・クリークでデビルス・マーブルのツアーをやってるオヤジもスケベで有名。
なんて、随分前から噂されているけど、今もそうなのかな?

【移動距離】
Broome – Port headland 613km

■ 1997年 7月14日  Nanutarra Roadhouse せせらぎを聞きながら…
次の目的地はカナーボン。850㎞先である。
もちろん、1日で行ける距離じゃないので、480㎞と370㎞に分けての移動。

それにしてもロードトレイン(大型トレーラーのこと。コンテナが50mくらいあるのでこう呼ばれる)のドライバーはすごい。
ガソリンスタンドで喋ったオジサンが言うには、1日平均で1400㎞だって!時間にして18時間…タフガイの仕事だわ。
 
この日は川縁のキャンプ場を見つけたんで、そこに泊まる。
川のせせらぎを眺めながら食べる飯は、インスタントラーメンでも美味い。
ただ、周りに人がいないのでちょっと怖い。
風も強くなってきたので、さっさと飯を食って後片付けを済ませる。

前にも言ったけど、オレは幽霊だの怪奇現象だのが大の苦手。
何だか全然眠れず、時折通るロード・トレインが「ブオーン…ブオーン」とギアを上げていく音を「トラックって何速くらいあるんだっけ?」と数えていたら、テントの外から、か細い声で「…ハロー…ハロー」という声が。

思わず飛び起きて、枕元のナイフを抜いて臨戦態勢。
用心しながらテントのファスナーを開けたら、何のことはないキャンプ場の管理人だった。
宿泊料金を徴収にきたのね…それなら、夕方に来てくれよ、マジで。
孤独もいいけど、夜は少し人がいるようなキャンプ場の方が安全かも。

【移動距離】
Port headland – Nanutarra Roadhouse 503km

■1997年 7月15日  Carnarvon 努力賞はキャラメルドリンク

一面の花。だんだん写真のアングルに変化が出てきてる(笑)

強い風のせいでよく寝られなかったらしく、寝不足気味。
9時ごろ、朝飯も喰わずに出発する。
これがよくないんだよな。
朝飯を喰わないで走ると寒さもきつく感じるんだわ。
途中、ビスケットを貪るもあまり効き目はなし。

そして、この頃、スピードメーターのケーブルがフロントホイールから外れまくる。
何だかよろしくない傾向だ。
 
ただ、最後の休憩の後…ラスト170㎞くらいになると、暖かくなり、道路の脇には名前は分からないけど、紫色の小さな花が咲き乱れていた。
時々、車に乗った家族連れの旅行者もこの花を摘んでたりして。
気分は春だ(ホントは冬というか秋ね)。

カナーボン到着は余裕の2時。
久々に見つけたウールワース(コールスに並ぶスーパーマーケット)で、買い物。
『がんばったで賞』として、キャラメルドリンクを飲む。
やっぱし疲れた時は甘いものが一番。
男のくせに…なんて堅苦しいことは言わないで、疲れた時は素直に口にした方がいい。

そういえば、今日は日本にいる友人の誕生日。
オレがオーストラリアを選ぶきっかけをくれた友人だ。
久し振りに声が聞きたくなったのと、ハッピーバースデーを伝えたくて電話してみたが、お留守。
仲間内でドンチャン騒ぎなのかも。 

この友人自身ボンダイに住んでいたことがあり、その話を聞いたからこそ、今の旅があるといっても過言ではない。
そういう意味では、友人をはじめいろんな人の支えがあって実現した今の旅。
皆々様の健康と幸せを祈りながら、夕食。

【移動距離】
Nanutarra Roadhouse – Carnarvon 368km

■ 1997年 7月16日~ 17日 Monkey Mia 300kgの関節技と欧州旅行計画 
今日は、さらに遅めの10時出発。
途中で1号線を外れて、モンキーマイアへ向かう。
イルカが浜辺までやってくるのが売りのリゾート地だ。
途中の道からは貝殻を敷きつめた『シェルビーチ』が見える。

キレイなんで、ひとつ写真でも撮ろうかとマシンを路肩に寄せたら、固い土に見えた路肩は何と粘土状態!
砂埃が乗っていたので、コンクリートに見えただけだった。

「あらら、転びそう。ヤベ。転ぶ?」とか言ってる間に、コントロールを失い、立ちゴケっぽく転倒。
…だけだったら、まだいいがその際、足首が反転。

つまり足首が後ろ向きになっちゃって、そのまま乾燥重量250㎏の車体+50㎏の荷物の下敷きに。
いやいや、実際にはバッテリー、オイル、ガソリンなどの分も含めたら、もう一声くらい?
とにかく、ものすごい重量だ。
年甲斐もなく、「いってぇ!!」と絶叫。
人がもがき苦しんでるっていうのに、車は素通り。
薄情なヤツらだ。
押したり引いたりして、ようやく足が抜けた。
Z1Rは、振り分けバッグと柔らかい地面のおかげで、ノーダメージ。

しかし、オレはアウト。
結果は右足首の捻挫(推定)。
きっとファンク兄弟のスピニング・トー・ホールドくらいの威力だったのだろう。
骨折したかと思うくらい痛くて、マジで動かなくなった。

しかし、痛めたのが右足でラッキーだった。
これが左足だったら、シフトチェンジも出来ないし、マシンの乗り降りも地獄だっただろう。
こいつはユースで休んだ方がいいなと思いきや、またも満室。
仕方なく、キャンプ場へ向かう。
足をいたわりながら注意深く荷物を降ろし、ノロノロした動作でテントを張る。

それが終わるとやることもなくなった。
Tシャツ、ビーサンになって海を眺めるくらいしかない。
山田さんと待ち合わせしていたパースのバックパッカーにFAXしたら、もう到着していると返事が来る。

そしてもうひとつ。
シドニーの旅行会社に勤める友人から、見積もりが届いた。
エアチケットの内訳を見る限り、とりあえず予算内。

そんじゃーいっちょ行きますか。
てなわけで…豪州一周も終わらないうちに、突然のヨーロッパ&北米行きが決定!!
 
ここまで行き当たりばったりでいいんだろうか。
いーんです。 こうじゃないと、人生はつまらない(笑)。
問題はZをどうするか。
何処かで保管してもらうしかないのだが…まあ、何とかなるだろう。


昨夜は、一晩中足首が痛んだのでよく眠れず。
朝、イルカを見に行ってはみたものの、何だか面白くない。
結局エサにつられてやってくるだけだ。

ヒョコタン、ヒョコタンと頼りなげに歩いていたら、「ヘーイ」と甲高い声の主がオレを呼止める。
誰だと思ったら、あのBMWを駆るビーエムおやじではないか!
おやじ、前は丸坊主だったのに、ちょっと見ないうちに髪が伸びている(笑)。
エロいぞ、ビーエムおやじ!!

そんで、ご自慢のマシンには傷が!
「あー!!どうしたのよ、オヤジ!?」
「君らの話を聞いてるうちに、やっぱりダートに行きたくなっちゃってね。そしたら転んじゃったんだよ」

今のオレには笑えない話だ。
オヤジ、あんたも人のことをクレイジー呼ばわりしてたが、あんたも立派なクレイジーライダーだぜ。
何だかんだいって、オレは彼のことが気に入ってたのかもしんない。
お互い安全運転しような!

この日、キャンプ場のレセプションにFAXが届く。
ヨーロッパ旅行のおおよその日程が出たのだ。
乗り継ぎを含めて何と14回も飛行機に!ヤバイ…こりゃ1回は落ちるぜ。
そういうことを考えるのが、田舎者の証拠なんだな。

怪我さえしてなければ、平和な気分で過ごせたんだろうけど…ここの日暮れも、本当に美しかった。

【移動距離】
Carnarvon -Monkey Maia 351km

■ 1997年 7月18日  Geraldton パッツンパッツン
一気にパースまで行きたい気持ちを落ちつかせて、ジェラルトンという街へ。
結構デカい街で、活気もある。
何だか雨が降りそうだったので、今夜はバックパッカーに泊まる。
 
途中、結構すっ飛ばしてきたせいか、オイルがものすごく減っていた。
継ぎ足し、継ぎ足しで走るのだから、よほど酷い状態なのだろう。

メシは久々のマック。
思わずビッグマックをふたつ食べてしまう。
ジャンクフードは美味しいね(笑)。
WAを走っていて、初めてマックとかハングリージャックとか都会の食べ物にありついた気がする(笑)。
 
夕方頃、寄り道をしてきたビーエムおやじが、バックパッカーにやってくる。
「久し振りに都会の夜を楽しもうぜ!」と誘ってみたのだが、オヤジは意外にマジメというか健康的で早々に寝てしまう。
ノリが悪いなあ、ビーエムおやじ。
 
しょうがないので宿のロビーでボンヤリとタバコを飲んでコーヒーをすすって時間をつぶす。
すると、何だか『怪しげな出勤前の飲み屋の姉ちゃん』といった女の子が「一緒にどう?」とビリヤードのキューを握ってやってきた。
「オーケーオーケーやりましょう、ええ、やりましょうとも!」
久しぶりに出会った都会の女性に大興奮(笑)。

勝ったら何かいいことがあるんだろうか。
しかも、この姉ちゃん、パッツンパッツンな格好をしてるもんだから、キューを打つ度に、機関車は走るよシュッシュッポッポ(笑)。
しかも、何故か、これが見えそうで見えないんだよなあ(何がだ)。
ボールの位置を読むふりをして、アレコレ角度を変えてみたが、やっぱり見えなかった。
 
そんなことに気をとられてせいか、惨敗。
ていうか、オレが弱いのか。
姉ちゃんは、オレとの勝負に飽きてしまったのか「じゃあね、楽しかったわ」と何処かへ行ってしまった。
飲みにでも誘えばよかったんでしょうか(笑)。
 
明日はいよいよ西の都パースへ!

【移動距離】
Monkey Maia – Geraldton 433km

■ 1997年 7月19日 ~ 7月29日 Perth 空冷Zとのしばしの別れ RBP滞在

これが危ない路肩。乾いた硬い地面と見せかけて、実は柔らかい土の上に砂が乗っているだけ。こういう場所が多かったが、二度と失敗はしません。

牧場、ワインナリーが続く道を走り抜ける。
ゆるやかな起伏のある道の両側は牧草が広がり、何となくヨーロッパを思わせる。
行ったことはないけど、TVとか映画で観るヨーロッパの景色だ。

3時過ぎ、とうとうパースに到着。
シドニーの反対側まで到達したという充実感が心を満たす。
宿は街の中心部から近いRBPと呼ばれるバックパッカー。
山田さんと待ち合わせしていた宿だ。

当時の日本人ライダーなら誰もが知っているライダー専用の部屋があるバックパッカーだ。RBPというのはRider’s Back Packers(ライダーズバックパッカー)の略だと思っていたのだが、Royal Biker’s Pensionが元々の由来という情報も。
宿本来のはLonestars Perth City Backpackers H.Q.という名称。
 
旅に出てから知ったのだが、パースを通過する日本人ライダーの多くが目指す宿らしく、大部屋のひとつが日本人ライダー専用にあてがわれているのだ。
「日本人ライダー専用」というのがミソで、おそらく素行不良を通り越し、何をしでかすか分からないクレイジーな日本人ライダーを一般の宿泊客から隔離するための施設、というのが真実ではないかと思われる。

バイクで来たことを告げると、問答無用で「RBP,OK?」と半強制でRBPへ。
もちろん、そのために来たのだから断る理由はない。
どんなライダーたちが出迎えてくれるのだろうと、ドキドキしながら部屋へ向かう。

が、誰もいない。
「真昼間だから、みんなどこかへ出掛けてるんじゃないか?」とのこと。
まあ、いいさ。
いずれ、帰ってくるだろう。

それにしても、部屋の汚さよ…
不動産に関して言えば、海外では日本人が部屋を借りたい、というと大歓迎なのだそうだ。金払いがいいのはもちろん、たいていは綺麗に使い続けるため、建物も傷まないというのが理由だ。

ところが、このRBPときたら、タバコの吸い殻は灰皿からあふれ出し、雑誌が散乱。
足の踏み場もない、というのはまさにこのこと。
おまけに、自分が使おうとしたベッドには、枕元の壁に誰かが描いたらしいヘタクソな「春画」が貼ってあったり…

なかでも、目を引いたのが「秘宝館」という表題のアルバムだ。
表紙には「裸の写真以外入れるべからず」と注意書きがしてあり、おそるおそる開いてみる。

ビーチで「悦子の母乳 エヴォリューション3」と名付けられたカブに全裸で跨る男。
局部にヘビだかワニのヌイグルミを被せた男が、競泳用の水中眼鏡を胸につけた女性が睨みあっている姿。
尻の割れ目にゆで卵を挟めた女性。
全裸の後ろ姿を撮られた女性。他も全てが全裸か半裸の写真。
こんな写真を集めたアルバムを置かれれば、そりゃあ隔離されても仕方ない。

煙草を吸ったり、その辺に散乱している雑誌を読んで時間を潰していると、カップルのライダーが部屋に入ってきた。
彼らはブリスベンから、ふたりで走ってきたらしい。
恋人同士でこんな旅が出来るなんて、何て幸せな人たちだろうか。
しかも、二人ともオトナで落ち着いた人たち。

夕方になって、山田さんと他のライダーたちが部屋に戻ってきた。
どうやら、スーパーへ買出しに行っていたらしい。
久々に会った山田さん、何だか調子が悪そうだ。

何でも、砂漠を走行中にひどい風邪をひいたらしく、パースについても体調が戻らないままだそうで。
山田さん、ケアンズでも調子悪そうだったし、実は虚弱体質(笑)?
シドニー生活では肺炎になりかけたオレだったけど、旅に出てからは風邪も引かず…
案外、身体も丈夫になったんじゃない?

もう一人は、TT600に乗る女性ライダー「のぐそん」。
何で「のぐそん」と呼ばれるのか、何となく分かってしまいそうなのだが、本人は「メアリーとお呼び!」と…
理由を聞いた気もするが、すっかり忘れてしまった。
たしか、神奈川出身の「のぐそん」よ、君がこれを見たなら、連絡を下さい(笑)。

のぐそんもまた、なかなかの女傑。
ナラボーを走っていた際、スリップダウン。
車体と地面の間で動けなくなり、本人的には全く問題はなかったのだが、インディアン・パシフィック号に通報され、何と救急飛行機で病院へ搬送されたという。
インディアン・パシフィック号が時々停車するのは、日本人ライダーのトラブルが原因だという都市伝説も、こういう話を聞くと真実味を帯びてくるね(笑)。

夜のメニューはヤキソバ。
みんなでつくったメシ、しかも大勢で食べるメシも久しぶりなので美味かった。
夜はRBPに置いてあったマンガ本を読み倒して、寝たのは3:00過ぎ。
普通のバックパッカーやYHAは、みんな早寝早起きが基本なのだが、ここはどうやら、ケアンズの60’sと似たような退廃的な雰囲気のようだ。
 
翌日、ZオーナーズクラブNSW会長のビンキィから各州のクラブに顔を出してみろと勧められていたので、早速電話してみる。
すると、ビンキィが前もってオレのことを知らせてくれてたらしく、会えることになった。

WA支部の会長はジョン。
ヒョロリとしたオジサンで、マシンはオレと同じくZ1R。
珍客の訪問を喜んでくれたジョンと奥さんのリナは、他のメンバーにも声を掛けてくれた。

しばらくして、カスタムZ1000を駆る2mはあるんじゃないかという大男のマットがやって来る。何と、ショップでメカニックをやっているマットの友達がバイクをオーバーホールしてくれることに!
しかも超破格値の1000$(フツーは工賃込みで2000$くらい)!
パースに来てよかった…
ビンキィ率いるNSWのクラブはあまり活動している様子はなかったが、WA支部はメンバーも沢山いるらしく定期的なイベントも行っているようだ。

マット氏が見せてくれたLook out。パースの街から先を一望できる。

そして、マットが言うには、このクラブには、何と日本人のメンバーが在籍しているという…が、今は事故で入院しているらしい。
パースを出るまでには会えないだろうが、いっぺんは顔を合わせてみたいものだ。
この日は、RBPに宿泊していた日本人たちと一緒にカレーライス。

■ 1997年 7月21日~ ダメダメな日々が始まる
単車に乗らなくなると、途端に何もしなくなるオレ。
パースからアフリカへ渡航する山田さんが、バイクを送りつけるため、運送会社New Wave Transportの小松崎さんと打ち合わせ。
何とオレがシドニーで働いていた会社の上司とお知り合い。後で知るのだが、海外で暮らす日本人のコミュニティは、案外せまい。
だから、変なことをしでかすと、あっという間に広がってしまう。
 
RBPに帰り、あらためて施設内を探検…というか、家探し。
そしたら、地下室から麻雀牌を発見。久しぶりにパイを握った。

翌朝、7時くらいに山田さんとのぐそんは、今日からダイビング・ライセンスを取得するためにプールへ。
冬の真っただ中に、泳ぐのか?二人とも凄いね~と言いながら、オレは昼まで眠る。
この日は映画を観たり…都市型退廃的生活を満喫する。
この辺りから、昼前に起きて街を歩き、夜は麻雀という生活が始まる。

10代の頃から鍛えていたせいか、連夜トップ。
しかもある夜、東2局、親の場面で三、四、六、八、發の刻子の緑一色をツモる。
たしか、ローソー、パーソーのシャンポン待ち。
緑一色…カワサキカラーだねえ、と喜んでいたら「混一色の対対でしょ」とか言われて。
バ、バカモノ!!役満ですよ、これは!!
あがった本人だけが大興奮、他の3名は釈然としない様子で点棒をよこして…みんな、もっと麻雀勉強してくれよ!

そして7月27日、Z1RをZオーナーズクラブへ持ち込む。
Z1Rとは、しばしのお別れ。

■ 1997年 7月28日  Pinnacles 化石の森 
今日は早起き!
山田さんと、バックパッカーに泊まっていた連中でレンタカーを借りてピナクルスへ行く。

ピナクルスはパースから北に約250㎞ほど行ったところにある。
ピナクルスは砂漠の中に墓石みたいな岩がニョキニョキと立っている不思議な所。
ニョキニョキの正体は、大昔の森。

これが化石になっても直立しているという、何とも根性のある木だ。
山田さん、写真撮りまくったけどいまいちお気に召さない様子。
後で知ったんだが、夕闇が迫る頃が一番キレイらしい。
昼間は景色にメリハリのあるわけでもなく、ひと通り見るのに1時間もかからなかった。

久しぶりに車を運転してみたが、車はラクだねえ(笑)。
アイスも食えるし、音楽だって聴けちゃう。
車のよさも分かっているんだけど、オレぁバイクに跨っちゃうんだよなあ。

もし、石ノ森章太郎が仮面ライダーをバイクに乗ったバッタオトコじゃなくて、四つ輪に乗らせてたら仮面ドライバーになってたのかな。ヨタハチとかに乗っててさ。

風車はベルトだと風が受けらんねえから頭に着けて。
変身するときは、窓から顔出して「へーんしーん!」…そこまで考えて我に返る。

だってみんな寝ちまうんだものよ。
ダメよ、一人くらい話し相手になってくれなくちゃ。
夕方過ぎにパースへ到着。

■ 1997年 7月29日 Take Off to the Europe !
 パース最後の日。本日より、いよいよヨーロッパ旅行の始まり!
 何が待っているのか、皆目見当もつかない。

 決まっているのは、とりあえず飛行機のスケジュールだけ。
 泊まる場所なんて決まってない。

 何とかなるだろう。
 いつだってうまくやってきたんだ。
 今度もきっと問題ないだろう。
 ちょっと前にはこんなことになるなんて、思いもよらなかったのだが…どうなることやら。

【移動距離】
Geraldton – Perth 418km

NSW QLD Part1 QLD Part 2 NT WA Part1 Finland  France Italy
Canada&USA WA Part 2  SA  VIC  ACT  Appendix  Appendix2015

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