Appendix Ver.2004

オーストラリアバイク一周

サイトのリニューアルと併せて、文章自体にも少し手を加えました。
以前の感覚的でイキオイのある内容は、あれはあれで面白いけど、あまりにも感覚が先走って、何を言ってるのか分かりづらい面もあったので、とりあえずその辺は修正。
あと、今になって思い起こしてみると「こういう部分を書き残しておくべきだった」なんてところも加筆している。

この7年間、海外ツーリングほどのビッグイベントはなく、特筆すべき毎日を過ごしてきたわけではない。
誰でも出会うような場面、誰もが直面する選択を重ねた7年間だったと思う。
とはいえ、数々の出来事を切り取れば、一晩中考え抜いても答えを出せずに悩んだり、思い切り嬉しかったり、寝込むほどに落ち込んだりと、自分自身の器の範囲内では、精一杯やってきた…気がする。

 最初にサイトを立ち上げた時、あとがきの最後の部分でこう書いた。

『……海外生活の経験を活かして再スタートを切るのか。それとも「オーストラリアはよかったなあ」と過去を振り返るだけの人間になるのか。あるいは、やはり海外で生きてゆくことを選択するのか。 

帰国後、オレは日本の社会に何を感じ、どんな道を選ぶのか?
それが知りたかったオレは、とりあえず、日本へ帰ってきた。
そして、帰国してから2年が過ぎた。
んで、どっちだったのかって?』

結論から言えば、答えは出ていない。
正解かどうかは死ぬ瞬間まで分からないだろう。

それに7年経った今は、昔を懐かしむ余裕なんてありゃしない。
日々、取捨選択の繰り返し。
自分の好きなことはなかなかままならない。

海外生活のことを思い出すのは、仕事上英語を使う時だけ。
多分、しばらくはこんな日々を過ごしていくのだろう。

今はそれでもいい。
長いことハンパな時間を過ごし、海外まで放浪して、周りよりも10年くらいは遅れていた人生なのだ。
「あ、頑張ってるな」って気づいたのも、ホントこの最近(笑)。
つまり、中身はまだ20代前半…か?

ルート

Google 先生に作って頂いた地図。

おおまかだが、青い線が走ったルート。シドニーから反時計回りで走ったのは、本文にもある通りだ。日本地図と比較すると、どれくらいだたっ広い国か分かるだろう。
文中では「ハート型」と解説したが、こうやって見るとそうでもない…

ついでにどうでもいいことなのだが、NSW編、QLD編など各州によってページの背景色が違うのだが、アレには実は意味がある。持っていた地図が、そういう風に色分けされていたのだ。それだけかって?はい、ただそれだけ(※初期のWEBのみ)。


予算

旅の資金についていろいろ質問があったが、人によってルートもまちまちなので一概にこうとは言えない。50万円で足りる場合もあれば、100万円でも足が出るかも知れない。高級料理を食いまくったり、ホテルばっかり利用すれば出て行く金も多い。使い道次第で、かなり変わる。
それじゃ、話が終わってしまうか。

まず、どうしたってガソリン代はかかる。バイクによって燃費は様々だが、仮にリッター25キロだとする。一日250キロ走ったら、10リットルのガソリンを消費する。場所にもよるが、ガソリンの価格がリッター80セントだとしよう。10リットルだから、8ドルの出費となる。1豪ドルが70円なら、560円の出費となる(ひーメンドくせえ)。

次にメシ代。1日3食で自炊したら、10ドルはかからない。まあ時々美味しいものを食べたり外食したとして、平均10ドルにしよう。それで700円。

最後に宿泊費。キャンプ場やらユースに泊まれば4~15ドルの出費となるだろう。これもかなり流動的だが、キャンプ主体で雨の時や淋しくなったらユースやバックパッカーを使うとしよう。独断と偏見で一日あたり6ドルの出費(異論はあると思うが、キャンプ場もピンキリだし宿泊施設を使用することも考えれば、こんなもんだろう)。

結論として、ガス8ドル、メシ10ドル、宿6ドルで、合計24ドル(1680円)は必ず出てゆくわけだ。それが一ヶ月続けば、5万円以上の出費となる。距離にすれば7500キロ進むことになる。
だが、思い出して欲しい。
オレが豪州一周で走った距離は、2万6000キロ。一日の走行距離が平均250キロだと100日以上かかる。ということは、16万8000円となるわけだ。

そこにエンジンオイル、エレメント、プラグなどの消耗品、距離が長くなるほどチェーン、スプロケ、タイヤなども交換しなければならない(特にタイヤの磨耗は激しく、オレは前後3セットを交換した)。

と、計算したところで机上の空論。仲間が出来れば酒も飲むだろうし、いろいろ観て回るだろうから出費はこのくらいでは済まされない。ガソリンだって場所によってはリッター1ドルを超えるし(そのかわり安ければ60~70セント代で済むが)。

それに、どのようなバイクを選ぶかが問題。中古車にするのか新車にするのか。中古車は値段に幅があるが、安いなら安いなりに理由があるはず。問題点を見つけ出し、修理出来るのかどうか。その費用が大きいようなら、もっと程度がいいものを選んだ方がいいのかどうか。
あるいはレッドバロンで新車を購入し、一周して帰ってきたら買い戻してもらうようにすることも出来る。その際、いくら手元に返ってくるのか。

また、後々バイクを処分して金が戻ってくるとしても、とりあえず購入資金は必要だ(当時の印象としては、5000~6000ドルくらいあれば、かなり程度のいい単車が買えるようだ)。
単車に42万円、旅の資金を多めに20万円に考えて、合計62万円。これでも消耗品は入れてないし、洗濯代、タバコ代なんていう細かい金も必要となる(こういうのをバカにしてはいけない。結構細かい金というのが、積もり積もって大きな出費となるのだ)。

ちなみに、レート計算は2000年5月のものをちょいと円安にしているが、オーストラリアの物価に関しては3年前くらいの感覚である。もしかしたら、物価も違っているかもしれないので悪しからず。
 
と、ここまで書いて「何だ、60万円くらいで旅が出来るのか」と改めて実感。
どうせあっちでバイクを売ればいいし…てことは、格安チケットで行ったとしても70万くらいあれば3ヶ月は旅が出来るのか。
ああー何だかもう一回やってみたくなってきたぜ。
カカドゥもクラッシュしたから、ほとんど観てないし、ナラボー平原も2ストップ…今度は向こうに知り合いもいっぱいいるから、ラクできそうだし…こりゃ、第2弾か!?

日本へ帰るZ
前輪は外さずに済みました

桃栗三年柿八年

そもそも、何故日本を離れたのか。
何も考えず、ただバイクでオーストラリアを走りたいだけ…もちろん、それもある。いや、本当に大きな目標だったことにウソ偽りはない。

ただ、実はバイクで走る以外にも、目的があったのだ。
Around The Worldの冒頭でも触れているが、その頃のオレは自分がよく分からなくなっていた。「自分が一体どんな人間なのか」「何をどこまでやれるのか」「何をやりたいのか」心の中では、いつもそんな言葉を思い巡らせていた。
煮詰まっていたと言ってもいい。

 地元にいれば、ツケでメシを食ったり、コネでアレコレ手に入れたり、他にもここでは書きづらいあんなことやこんなこと(別にHなことではない。念のため)が、ほとんど思い通りだった。まさに「オレが一声かけりゃあ…」という感覚である。それが、ある日突然「これってオレの力じゃなくて、周りの友達や知人の力だ」と思い込みはじめたというか、気づいてしまったのだ。

 かといって「全部が全部そいつらの力でもない。お互い、助け合うこともあるわけだし」という気もする。じゃあ、どっからどこまでが自分の能力の範囲内なのか。そんなものに境界線なんてないような、でもそう考えるのは問題を直視していないような…

 そこでオレは「とりあえず、周囲に知り合いのいない場所へ行ってみよう」と思いついた。しかし、どこかへ引越せばいい?仙台じゃイミないし、東京にも知り合いや友達は大勢いる。じゃあ北海道?沖縄?いやいや、どうせなら何もかもゼロから始められるところにしよう。

 そうだ、外国ならどうだ?知り合いは全くいないし、何をするにも英語が出来なければダメ。しかも、文化・風習も違う。予備知識のないところで、オレという人間がどこまで通用するのか試すには、外国が一番なんじゃないだろうか?

買い物するにも、電話を引くにも、仕事を見つけるにも、すんげえ苦労するだろう。おまけに、オレを知っているヤツはひとりもいない。何をするにも、手を抜くわけにはいかない。
そんな極限状態に身を置けば、オレにも自分自身というヤツが少しは分かるんじゃないだろうか?

もう少し考え深かったら、この時点で「単純な人間」という評価を下せるのだろうが…その後は、ご存知の通りである。何ヶ月もたたないうちに、キングス・クロスを我が物顔で横行する、アブナイ日本人ライダーが出来上ったわけだ。

そんなもんだから、帰ってきた時は「もう帰ってこないと思った」「向こうで骨を埋めるんじゃなかったのか?」とか「パツキンのおねえちゃん、孕ましたから逃げてきたんだろう」と、とんでもないことを言うヤツもいた。

確かに、向こうで暮らすチャンスがなかったわけではない。ありがたいことに、こんなオレに「働かないか」と誘って下さった経営者もいた。でも、オレは帰ることにした。その時は、意地を張ってというか、照れ臭かったので「オレぁ、腐っても長男だからよう、甲斐性のねえジジィとババァを養っていかなきゃならんのよ」と周りに言いふらしていた。
だが、そんなヤツは最初から日本を離れたりしないだろう。

1年半の中で、オレは自分にとりあえず「たいへんよくできました」というハンコを押した。全部が全部うまくいったわけではないし、結局自分がどんな人間かなんて、分からずじまい。
それでも、自分なりにひとつ、ふたつステップアップしたと思えたし、へなちょこ白帯ライダーから少しは成長したとも言える。

それが、日本という社会でどう通用するのか。今度はそれが知りたかったのだ。
海外で長いこと生活したヤツは、多かれ少なかれ日本社会に「違和感」を感じるという。そのギャップが大きいと、日本社会に溶け込めずフラフラと漫然と生活する連中も多い。

日本の社会がいいとか悪いとかは別として、「溶け込まない」のと「溶け込めない」のでは、意味が違ってくる。
海外生活の経験を活かして再スタートを切るのか。それとも「オーストラリアはよかったなあ」と過去を振り返るだけの人間になるのか。あるいは、やはり海外で生きてゆくことを選択するのか。 

帰国後、オレは日本の社会に何を感じ、どんな道を選ぶのか?
それが知りたかったオレは、とりあえず、日本へ帰ってきた。
そして、帰国してから2年が過ぎた。
んで、どっちだったのかって?
それは、また別の機会にでも…

SPECIAL THANKS TO

NSW

Kawasaki Z Owners Club NSW, President Binky Rominski
Vicky Joy Samuels, Grant Joy Samuels, Brett, Lucky

Kazu, Emi, Mari, Sensei Kazu, Dr.Yoshi, Inga Sadovskaia, Song, Hiromi Aoki
Jun “Mochey”Mochizuki, Tomoyo, Fumi, Junko Masumoto,
Sacha Pown, Butch

Dai-Chan, Keisuke, Nakayo, Christian, Nori-san, Tadanori Suda
Kazuhiro “Oh Dear” Fujimoto, Nori, Miho Amemiya, Chiyoko Nasu,
Yumiko Kurata
Adrian Gen Tsukamoto, Sanae Utsumi
Yoshitomo Negishi, Kozo Watanebe, Setsuko Kajiki, Yuki “Wadee” Wada, Taro Kikuchi
Hideto Slicer Ogane, Iga-chan, Shinobu Moku, Patako, Ryuzo Higuchi, Tsunetaka Kataoka,Kazunori “Kyokan” Ito, Shiho Kusano,
Tatsuya “Choppri” Chujo,Junichi “Jukucho” Suda


QLD

Taisho-Hasegawa, Hiroto Yamada, Ryoko Nshimoto, Yuki Akiba, Osho-Moriguchi,Takuya Nakazawa
Kazuo Kawake(Kawasaki World MOOROOKA)
Paul Lehmann, Grant, Tomoko
Kawasaki Z Owners Club QLD, Luke


NT

Kazuhiko Eino, Boya-san, Mitsu, Mari Ichikawa, Kimiko Terashima, Kaori Akaji, Miyoko Nakata
Akira Jo, Sa-chan the Courageous woman


WA

Kazumi Hirachi, Nagashima, Nog-son, Shinji Kitamura, Suyama Hatsuko, 
Kawasaki Z Owners Club WA, John&Rinna Beimans, Mat Armstrong, Tsunehiko Kawasaki


SA

Kawasaki Z Owners Club SA, Tonny Potter, Rino Ottavino
Margaret


VIC

Kawasaki Z Owners Club VIC
Tomomi Ozaki
Naoko Motohashi

JAPAN

Mr.BIKE(Tokyo Editors co.ltd)
Hiromitsu Echigo
Kazuharu “Hiko-san” Suzuki
Junya Miura
Tetsuya Ogawa
Eiko Aizawa
Mun@ge born
Jun “NABE” Watanabe
Phantom Motorcycle Cavalier ALLEGRO

NSW QLD Part1 QLD Part 2 NT WA Part1 Finland  France Italy
Canada&USA WA Part 2 SA VIC  ACT  Appendix Appendix2015

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