Appendix Ver.2015

2015年版あとがき、といいつつ、書き始めてから既に3年が過ぎています。
2017年には本編も完成させ、ちょうど20年記念として公開したかったのですが、途中から作業が停まってしまいました。
ですから、正確には2018年版ですね。

オーストラリアへ行く。

そう心に決めてから、およそ20年の月日が過ぎようとしてます。
今回、2015年バージョンを作成したのは、当時のネガフィルムを発見した、というのが大きなきっかけです。

ツーリング当時、写真は一度見ただけでMr.Bike編集部に送っており、編集の段階でボツになった写真もあったりして、自分でも記憶に残っていないものがたくさん出てきました。

これをフィルムスキャナーで読み取ったところ、そこそこの質感でデジタル化できたので、写真の掲載点数も増やしました。
もちろん、インターネットの高速化に伴う大容量化がなければ、実現できなかったことです。

そして、もう一度、当時の旅行記を引っ張り出してきました。
20代の若者が様々な出来事に右往左往して、目の裏が痒くなるようなキラキラしたトーンで書いている旅行記を読むには、歳を取り過ぎた、というのが率直な感想です。
でも、小さな出来事にも喜怒哀楽の気持ちを感じる感受性は、自分が書いたものであることを差し引いても「若いって素晴らしいな」と感じました(笑)。
 
歳を取りますと、それなりに見栄も世間体もありますから、なかなか喜怒哀楽を表に出せずにいることもあります。

10代、20代の若いうちに、エモーショナルな日々を過ごした方がいいと思うのですが、最近は誰でも簡単にインターネットで情報が手に入るせいか、いろいろな意味で「耳年増」になっている気がします。

世界中の景色は、それこそ路地裏さえもGoogleのストリートビューによって、いつでもどこでも見ることが出来ますし、街の小さなレストランがどんな料理を出すのか、どんな味だったのかも知ることが出来ます(投稿者の主観があるにせよ)。

文章や画像を閲覧することで、遠い場所に思いを馳せているうちはいいのですが、いつの間にか、誰が書いたか分からないようなことを鵜呑みにして、インターネットの情報は、100%真実であると認識してしまう、なんてことも少なくありません(実際、自分でもついついWEBサイトの情報を軸に行動を選択していたりもします)。

1990年代半ば、インターネットが普及する前に海外へ出ることが出来たのは、ある意味ラッキーだったかもしれません。
あの頃、旅で出会い、いまなお交流のある人たちとは「あの頃、スマホがあれば、もっと写真や動画も沢山撮れたし、調べ物も楽だった」という話になります。
確かに、写真のバリエーションも増えたでしょうし、それこそ、カカドゥの奥地から日本にいる友達にライブ中継を見てもらう、なんてことも出来たでしょう。
実際、そういう旅も悪くないと思います。

ただ、自分の足で歩き、自分の目と耳だけを頼りに、知らない人とコミュニケーションを取ることでしか辿り着けない正解もあり、それはそれで素晴らしい価値でした。
少なくとも視線はスマートフォンではなく、実際に目の前に拡がる景色や生きている人間たちでした。

本編でも触れてますけど、正直、旅の後半部分はしんどくなっていたのも事実です。
パースに到着して、バイクが手元から離れ、ヨーロッパに旅立つ時、あの時の心情が旅の終わりのような感じでもありましたし。
特にオーストラリアに再入国した際、シドニー経由だったのも良くなかったですね(笑)。
シドニーを目指して走っていたのに、先に飛行機で着いちゃった、という…
アレで張りつめていた気持ちが途切れて、それ以降は、ただ「一周のひと筆描き」を達成するためだけの旅になってしまったのは否めません。

「たら・れば」の話をしても仕方ないのですが、シドニーに到着して、そこからアストロ球団の最終回みたいに「オーストラリア一周の旅は終わった。そしてオレは新天地を求めて旅立つのだ!」とオーストラリアを旅立つことが出来たら、いい流れだったんでしょうけど…
まあ、終わったから言えることであって、あれはあれで最高の時間だったと断言できます。

また、モチベーションが低下したのは、少し焦りのようなものがあったんですね。
旅が終わりに近づいてきた頃、日本を離れて1年という節目も近付いてきたこともあり、自分を顧みる時期になったんだと思います。
オーストラリアで地に足をつけて暮らしている日本人たちともたくさん出会い、そういう人たちと自分を比べると全然ダメじゃないか、と。
さんざん遊び歩いてきたわけですから、そんなの当たり前なんですけど。

あれだけ堅気の生活に文句つけてたくせに、今度は普通の人たちの生活に憧れ出したんですね。寅さんみたいにフラフラとやることもなく過ごす自分の周りでは、毎日一生懸命頑張っている人々がいる。
嫉妬というほど尖がった気持ちではありませんが、普通の人々の暮らしも出来ない自分に嫌悪感を抱いてしまったり…もしかすると、そういう深層心理があって、旅の後半は行き急いでいたのかもしれません。

そういう心境は、長く旅を続けている人たちにはありがちらしいのですが、老婆心からいうと、そこで慌てて社会復帰はしなくていいと思うのです。
旅がつまらなくなったり、前に進めなくなったら、それも旅を形作るものだと腹をくくり、テンションが高いまま過ごした日々とは別の視点で自分を見つめるしかない。
今だから言えるんですけど、人生は30代、40代になっても十分何とかなる。

実際、この旅がその後の人生を大きく左右したことは間違いありません。
Mr.BIKEの連載コピーを持って行ったお陰で、モノ書きとしてお給料をもらうことが出来ましたし、そこで身に付けたノウハウと海外での生活経験によって、東南アジアを何度も行ったり来たりする仕事にありつくこともできましたし。

結婚して家庭を持っているうえ、自営業として日銭を稼ぐ毎日なので、こんな旅は二度と出来ないでしょう。
オーストラリアをぐるりと一周するだけで2万5000キロ以上、毎日休まず500km走ったとしても2か月近くかかる計算です。
でも、チャンスがあるなら、是非もう一度挑戦したいと思います。

今度は反時計回りで、海を左手に見ながら、1号線にこだわらず海岸線を走って一周したい。
前回は、軽く通過しただけのNSW南部を回ったり、タスマニアの原生林も観てみたい(飛行機では行きましたけど)。
SAのワインナリーやクーパーピディだって寄れなかったし、パンク修理剤を積んでいけば、インディアン・パシフィックの線路沿いも走ってみたい。
もちろん、次回も空冷Zで走ります。

あるいは、AH…アジアンハイウェイ(Asian Highway)を走り倒すのも面白いかも知れません。
2009年にタイを縦断するAHを移動したことがあり、現地の方が「東京とトルコを結んでいる道だよ」と教えてくれました。

アジアンハイウェイは、その名の通り、アジア32カ国を結ぶ総延長14万キロの道で、各国の交流をより活発化するため「現代版シルクロード」として制定されたそうです。
シルクロードは交易路でしたが、外国や異民族の文化が行き交うこともあったでしょう。
残念ながら、2015年現在、アジアンハイウェイが通る国の一部は、政情が不安定で、興味本位や物見遊山で立ち入ることは憚れるような国や地域もあると思います。

それでも、行きたいと思うのは何故か。
様々な国を歩いてみて、良いことも悪いことも自分で見聞きしないと分からないからです。
今の世の中、沢山の文章、映像が様々な媒体で閲覧することが出来ます。
極めて有用なものもあれば、作者が印象操作することで、偏った情報として世に出されている書物や作品もあります。
客観的な統計資料ですら、見せ方や切り口を変えることで、読み手の受け止め方をコントロールすることも出来ます。
さらには、そういうテクニックすらビジネスとして成り立つくらいですから…

であるならば、自分の足でその土地を歩かないと分からない。
どんな人がどんな暮らしをしていて、どんな風に考えているのか。
また、国家だの民族、あるいは宗教を背負ったうえで話をすると、どうしても大きな視点でしか話が出来なくなる。
場合によっては、取りつく島もない、といったこともある。

でも「食べ物の話」「子育ての話」といった個人の話題に焦点を当てると、こちらを向いてもらえることもある。
その結果、妥協できることもあれば、現状では価値観を分かち合うことは出来ない、という認識に立つ時もあります。
だからといって、相手に「あなたは間違っている」と否定したり「ボクらの考え方の方がよくないですか?」と議論をふっかける気はありません。

自分とは違う人間がいる、と認めるだけでいいんじゃないかと個人的には思っています。
「こんな人たちと出会った」「そこでは、こんなものを食べている」と、事実だけを伝えれば、それでいいんだと思います。

実際、自分が出会った人々にも「日本は信用できない面もある」「日本は嫌い」とバッサリやられました。
それでも「日本という国は信用できない。でも、あなたは私の友人だ」と握手してくれた人たちが何人もいます。
複雑な心境でしたが、わだかまりを抱えながらも対話し続ける方が、反目したままよりいいのではないか、というのが個人的な感想です。

次のチャンスがあるなら、行ったことのない風景や街の様子を映すのもいいのですが、その土地に暮らす人々の日々、彼らとの会話を書き綴っていこうと思っています。もしZ1Rで旅が出来るなら「アジア・ハイウェイよりZイズムを込めて」というタイトルでもいいですね(笑)。

そうはいっても、ワタクシも40代半ば。
鋼鉄の塊、Z1Rに跨っていられるのも、あと僅かでしょう。
もしかすると、誰か次世代の空冷Z野郎に、この想いを託すことになるかもしれません。
それでも、遠い異国の道路を走ってやる!という気持ちは持ち続けるでしょうけど(笑)。

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