オーストラリアよりZイズムを込めて 2018 Day 4

Australia 2018

Tjukayirla Roadhouse to 
Uluru

朝、目が覚めた時にはすでにハエがブンブン飛んでいる。
もうハエのことしか書いてない気がするけど、それくらい心に響くというか、心を折られまくり。

顔や身体にたかるのはもちろん、調理していてもやってくる。
20年前もこんな苦労してたんだっけ?
全然覚えてないと思ったけど、よくよく考えてみたら、テント泊の時は基本的に朝食は食べなかったのだ。
あるいは、ビスケットをペットボトルの水(正確にはティーバッグを突っ込んだ紅茶もどき)で流し込んでいただけだった。
そうだ、そんな貧相な食生活だったのだ。

そう考えると、この旅では毎食ちゃんと(?)食べているのは、マット氏が非常にマメだからである。

とはいえ、とはいえ。
今日のハエはスゴい。
もう、どうしようもない。
あまりにも沢山のハエが飛んでくるので、とうとう我々もギブアップ。
最終的にはパンケーキを焼けた瞬間、入口のファスナーをちょっとだけ開けて急いで中に入れる。そうやってどうにかハエから身を守りながら朝食を済ませる。

そんなものだから、7時半には撤収準備完了。
朝も早よから走行開始。

ほどなくして、どんどん気温が上がっていく。
車の温度計も45度、46度を表示。
「ほんまかいな」と窓に手を当てると、メチャメチャ熱い。
つい、数日前まで寒くてガタガタ震えていたのに、40度をはるかに越えたのだから、スゴい。昔もこんな風にして走ってたなあ。

1時間そこそこで、ウォーバートン(Warburton)という街に到着。
ロードハウスで休憩しようと思ったのだが、まだ開いていない。
ここは、アボリジニたちの住む街なのだが、路上の車は多くが破壊され写真を撮るのもはばかれる雰囲気だった。
何しろ、キャラバン・パークは鉄条網つきのフェンスが張り巡らされ「番犬が内部をパトロールしています」「キャンプサイトの宿泊客以外立ち入り禁止」という注意書きが。
普通「ようこそ、ボクらの街へ!」「楽しんでいってね!」でしょ(笑)。
まるで、こうでもしないと襲われるような雰囲気じゃないのよ。

昔、クィーンズランド州(QLD)からノーザン・テリトリーに入る時、こういう集落がいくつもあって。
一服しようとロードハウスに入ろうとしたら、客たちがこっちをじーっと見てて、ジリジリと輪を縮めてくる感じで。

おいおい、やべえぞ、こりゃ。
とか思ったけど、こっちはこっちで、真っ黒いライダースにロングブーツ、黒いプロテクターもつけているから、まんまマッド・マックスに出てくるような雰囲気で(笑)。
ガツーン!ガツーン!って床を鳴らしながらカウンターに腰掛けて
「冷たいミルクをいっぱいもらうかな」
と寺沢武一のコブラが言ってたセリフそのまんまなんだけど(笑)。
さすがに、あのカッコで走ってた時、からまれたことはなかった。
友好的に話しかけられたこともなかったけど。

一回、あるキャンプエリアで何人か日本人が居たから
「どーもー。こんちはー」みたいな感じで声をかけたら

「ほら!やっぱり日本人だったよ!」
「言ったじゃん、オレが!」
「うわーよかったあ」
「これで安心して眠れるわー」

とかいうリアクションされて。
いったい、何者だと思ってたのよ、と(笑)。

まあ、とはいえよ、別の視点から見たら、アボリジニだって好きでこんな生活しているんじゃない。
何万年もカンガルーやエミュー、トカゲを追いかけ、その日その日をつつましく生きてきたのに、突然、見たこともない連中が現れて
「今日から我々がここに住むからな」
とか言って、森を切り開き、街をつくり、そこらじゅうに穴を掘って何かを掘り出したり。
彼らが知る由もないが、たくさんの犯罪者が島流しにされて。

そうこうしているうちに、未知の病気、飲むと心も身体もおかしくなる液体を持ち込まれ(アボリジニはアルコールを分解する酵素を持っていないので、アルコール中毒にかかりやすい)、彼らの生活は大きく変わっていった。

オーストラリアに限らず、世界中のあちこちの場所で起こったことであるけど。
ここでは、国の予算でアボリジニたちを「保護」という名前の大きなおせっかいによって定められた区画に隔離して
「ここで大人しく暮していれば、カネも住むところも世話してやる」
と生活を保障したわけ。

「バカにすんなよ、オレたちだって自力で生きていく」
という気骨のある人たちもいたけど、大半は堕落して、酒やドラッグに浪費してオシマイ、という生活を送るケースも少なくない。
内陸部だけではなく、大都市でも強盗、強奪などを繰り返してスラムに住み、そういう連中と対峙したこともあった(こっちが悪者扱いされて拳銃を構えた警官に囲まれたけど)。
彼らも望んでそういう生活を送っているわけではないんだけどね。

内陸部に暮らしているアボリジニは、ドラッグも入手困難だから、せいぜい酒飲んで暴れるくらいじゃないの?
と思っていたら、日本のヤンキーたちのように揮発油を吸引するようになった。
トルエンとか、芳香性の高い物質が含まれているヤツね。
燃料だと砂漠の街でも流通しているから手に入りやすいし。

「これじゃあ、マズい」
と、石油大手のBP(ブリティシュ・ペトロール)が「オパール燃料」というニオイ成分が少ない燃料を開発した。
多分、都市部では見かけないけど、アボリジニが暮らす場所ではオパール燃料しか取り扱わない処もある。
これで一安心、と思いきや、わざわざ別のところまで出掛けていって、ガソリンを買ったり盗んで吸引する若者もいるらしい。

どうにかならんのか、とも思うし。
じゃあ、どうしたらいいのか、と言われると分からないし。
もちろん、お互いが妥協して、うまくやっているケースもあるので希望が無いわけじゃないだろうけど、今のところは、そういう状況に目をそらさずにいることしか出来ないのです、残念ながら。

ウォーバートンを抜けて走り出して間もなく、弾丸道路の向こう側にひときわ大きな動物が。
牛じゃないし、ウマでもない。
目を凝らすと、ラクダだった。
野生のラクダなんて見たことあるか(※厳密にはラクダは中近東から持ち込まれたものが野生化しただけ)?
そもそも、屋外でフリーになっているラクダを見たことがない。
せいぜい鳥取砂丘のラクダくらいだ。

何十頭ものラクダが走る壮大な風景。
地球ってスゴイなあ。
とか感動している場合ではない。
遠く離れた場所にいるくせに、ニオイがきつい。
そして、またもハエが飛来。
ラクダの方に行けばいいじゃん、とか思ってもこっちに寄ってくる。

ここら辺まで来ると、道路も土も真っ赤に。
写真で見るとよくある砂漠っぽい風景だが、砂に触ってみると、砂というより粉っぽい。
昔は、この細かい砂がキャブレターのエアクリーナーボックスにまで侵入してきて辟易したものだ。

この色の砂が増えてきたということは、そろそろ目的地も近付いている証拠。
昼ごろ、ナンヤットジャラ=ジャイルズ(Ngaanyatjarra-Giles)に到着、Warrakurna Road house(ワラクラ・ロードハウス)で休憩。

ここで14ドルもするハンバーガーって何だろう。
何となく推して知るべし、という感じなのだが、本日は売り切れ。
いちばん出そうなメニューなのに、ここでも売り切れ(笑)。
しょうがないので、サンドイッチを頼む。
そして、出てきたのがコレ。
出てきたというより、保温庫のなかで、ほどよく温められたホット・サンドイッチ。確か6ドル。

まあね、油代かけて運んできた材料で作れば、こんな感じなんでしょうけど(笑)。
ちなみに、ワルクラ・ロードハウスはアボリジニの美術館というかアート・ショップが併設されております。
価格はそこそこしますけど、多分、ちゃんとしたアーティストが創った作品だと思われます。

さらに車を進めると、とうとう、州境にさしかかる。
ここから先はNT、あこがれのノーザン・テリトリー。
自分にとってのオーストラリア・オブ・オーストラリア。
あこがれのノーザン・テリトリー。
感無量です。

ここで、カルトゥカットジャラ(Kaltukatjara) という街に立ち寄ってみる。
この辺りも、アボリジニのテリトリー。
いまでこそ、ストリート・ヴューで世界中の景色が手に取るように分かるけど、それすらも拒んでいる(2018年12月現在、ストリート・ビューの対象外)。
ありふれた、小さな集落なのだろうけど、他を寄せ付けない雰囲気がある。
ロー・シーズンとはいえ日曜日、我々と同じように大陸を走る4WDともすれ違ったけど、多くの旅人は通り過ぎるだけなのだろうか。
おそらく、この集落唯一の店もこんな感じで、開いているのかどうかも不明。
いずれにせよ、ウェルカムな雰囲気ではないので、早々に立ち去る。

さらに車を進めると、雲行きがますます怪しくなってくる。
時々、大きな雨粒が落ちてくる。

ただ、ここまでくれば、もう一息。
時々つながるネット回線で現在位置を拾いながら「もうすぐエアーズロックだ」と盛り上がっていたその時…

後方で「ドカン!」という破裂音が。
慌てて車を停めて外に出る。

すると…

リア・ウィンドウが木端微塵に!

原因は分からないが、路面に転がる大きな石をタイヤが巻き上げ、キャンパーの鉄板に跳ね返って窓を直撃したのではないか、と。
あるいは、後ろに積んでいたスーツケースが跳ね上がって窓を叩いたか。

いずれにせよ、割れた窓を何とかしなければ。
木端微塵とは書いたけど、幸い、破片同士はくっついている。
というより、複合構造のおかげで崩壊せずに済んでいるのか。
工具箱からどうにか結線用のビニール・テープを見つけて窓に貼りつけた。
応急処置も終わり、とりあえず、しずしずと車を走らせる。

さっきまで時速100kmオーバーで走っていたのが、今度は80kmくらい(笑)。
まあ、しょうがない。
ラッキーだったのは、それからほどなくして、舗装道路に辿り着いたこと。
そういえば、時々、マットが「ビッチメンロード…」とか言うので、ビッチとメン、シーメールと同じ意味なのかと思ったら、bitumen(瀝青、アスファルト)のことでした(笑)。
「Sealed Road(シールド・ロード)じゃないの?」と聞いたら、そっちも使うよ、と。地図ではシールド、アンシールドで区別しているのもあります。

舗装道路も割としっかりと造られたものなので、もしかしたら、いよいよエアーズ・ロックが近づいているのか…?

でも、西から走って来たので、最初に出会うのは…

これ。

マウント・オルガ。
アボリジニの言葉では、カタ・ジュタ(Kata Tjuta)。
たくさんの頭、という意味の通り、ドーム状の岩山が並んでいる山だ。
航空写真で見ると、そんなに丸っこく見えないのだが…

ここには、また後日やってくるので通り過ぎるだけ。
そして、夜になって、やってきました。
エアーズロック…ではなく、その近くのリゾート(笑)。

20年ぶり。
前回と同じようにキャンプ・サイトに宿泊。
でも、景色は全然記憶にない。
こんな感じだっただろうか?

覚えているのは、涼しい時期、いわゆるハイ・シーズンだったのでYHAも何処も全滅。
寒いので屋内に宿泊したかったのだが、テント泊だったということ、朝、死ぬほど寒くて目が覚めたら、バイクのシートに霜が降りていたことくらい。
写真は撮れなかったけど、何故か、このリゾート内にはウサギがいる。
最初はポッサムとか小型の有袋類かと思いきや、ただのウサギ(笑)。
誰かが持ち込んで、そのまま増えたのだろうか。

とりあえず、夜も遅くなったので、ラム・チョップを焼いておしまい。
とはいえ、これだって十分すぎる御馳走なのだが。

そして、数日ぶりのシャワー。
暖かいお湯が出るし、携帯はつながるし、ハエはいないし(夜だから分からないけど)。

何だかすごくあっという間だったけど、パースからエアーズロックまでの長距離移動は終わりに近づいている。
が、ここには数日滞在する予定なので、日程自体はまだ中盤戦といったところ。
明日からはエアーズロック周辺を堪能します。

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