小渕さんが「平成」を発表した当時、級友たちと雀卓を囲みながら
「ふうん…平成ね…」
「あ、それポンね…」
「あーロンだわ。え?これ平成初のアガリ?」
なんて感じだった。
1990年代ってのは、斜に構えてのらりくらりして無難にやり過ごすことがスタンダードだった。
あの頃、親父やお袋の世代は、息を切らしながら全速力で走り、必死で豊かさを追い求め、どういう状況でモノがあふれていったのか実感のない我々には、その貴重さがよく分かっていなかったし、やがて訪れるバブル経済も自分の真上を通り過ぎるだけだった。
苦しい思いでベビーブームの受験戦争に勝ち抜いた頃にはバブルが弾け飛び、搾りカスのような景気の残骸にあやかろうにも、今度は就職氷河期が待っていた。 平成から何年かが過ぎた頃、どうしたらいいのか分からないまま法律上の成人となり、だからといって何かが変わることなく、それでも「何とかなるんじゃない?」と薄笑いを浮かべていたけど、やっぱり世の中は何も変わることが無く、変わらなければならないのは自分の方だったと気づいたのは、遠く離れた異国の地を彷徨っていた頃だった。
平成が10数年を過ぎた頃には自分の家族が出来るのだが、その頃には、ごく当たり前のように居た家族がひとり、またひとりと減っていった。
日常とはこんな薄氷の上に成り立っているものだったのだ。
そして、いま平成が終わろうとしている。
もう何時間もないうちに幕を閉じる。
平成が終わったとしても、世の中も自分も、明日から突然大きく変わることはあるまい。
だからといって「どうせ何も変わらんよ」と斜に構えていたら、30年前の二の舞だ。
同じ過ちを繰り返してはならない。
変えるのは自分自身。
変わるのは自分自身。
サラバ、平成。
なかなか熱い時代だったぜ!