「気づくと、こんな歳になっていた」
という言い回しは、文中に収まりの良い慣用句みたいなものだと思っていたが、本当にそうだ。
自分が30代前半とは思わないけど、30代くらいの人間に対して「たいして歳が離れていない」と認識してしまう「認識能力」の低さがあって「いやいや違うだろう」と理性が修正をかけ「あ、自分はもうこんなに歳を取ったのか」と愕然とする(ここまで0.2秒)。
同じように、気がつけば自分の周りにいたバイク乗りたちは姿を消し、区画整理前、そこに何が建っていたのかを思い出せないようにリソースから消去されている。
でも、こう思うわけ。
昔、あいつと走ったワインディングは楽しかった、とか。
テントの前で、ゲラゲラ笑いながらバカ話をしたとか。
そういうのを懐かしむのは、バイク免許を返納してからでいいじゃない、と。
300kg以上もあるマシンを転がす体力と気力があるうちは、今を走りなさい。
昔の仲間とつるむのもいいけど、四六時中、マシンのことだけを考えて、毎日のようにタイヤを削って生きる、いまを生きるバイク乗りとタメはれる走りをしなさい、と。
そういうバイク乗りと走っている間は「いまの若い人達は…」なんて言葉は出て来ない。
何でって、いま、自分もその渦の中心、そこにいるからでしょう。
砂浜から波を読んでいるだけじゃ、サーファーじゃないでしょ?
日本だったら年金もらってる年代のKISSだって、令和の時代でもステージに上がってるでしょ?
アンタ方が大好きなマンガでも「速いヤツは謳わない」って言ってたじゃない。
カスタムパーツ談義に花を咲かせてた時、ある男から釘を刺された。
「その金をアブラ代に回したら、もっと速く走れるぜ」と。
実は、半径200m以内に「いまを走る」バイク乗りたちが結構いたりする。
「おーい!」と叫べば聞こえるくらいの距離にカワサキ乗りのご近所さんもいるし、挨拶程度しか交わしたことがないが、スズキのレプリカ乗りもいる。
ちょっと向こうでは、休みのたびにクラシカルな音を響かせている家も。
ご近所、とはやや違うが、近くの会社にバイク通勤しているライダーがいる。
車種はYAMAHAのMT25。
通勤距離は数km程度なのだが、年間走行距離1万を超えるのだから恐れ入る。
たまたま1年前、オドメーターを撮影した写真があるので比べてみると…
走行距離は1200kmちょっと。
1万kmに追いつくのは難しそうだけど、せめてオイル交換の目安になるくらいは走りたい。
そのためにも、ツーリングマップルは買っておいた方がいいだろうか。
スマホナビがあるから要らないんじゃない?
そのために、ホルダーもつけたんでしょ?
と言われそうだけど、紙の地図には別の良さもあるのだ。