オーストラリアよりZイズムを込めて 2018 Day 9&10

Australia 2018

Alice Springs to Brisbane

翌朝、アリス・スプリングスの名所?でもある「レプタイル・センター」へ突撃。1997年に来た時は見つけられなかったのですが、それもそのはず。
オープンは2000年。もし、当時知ってたら行ってたよね。
レプタイル・センターとは、ようするに「爬虫類館」。
ちなみにアリス・スプリングスの名所として有名なのが、アンザック・ヒルだけど、丘から街を見下ろしても微妙な感じだったので、今回はパス。

爬虫類館の周辺は、平日の朝っぱらなので、誰もいない(笑)。
オープンまで時間があったので、近くの公園でブラブラしていると、アボリジニたちもブラブラ。

今回の旅でも、たくさんそういう人たちを目にする機会があった。
フリーランスな生活している自分も、突然、彼らと同じような状況になってもおかしくないだけに「暇人め」と嗤うことは出来ません。
何百年も昔、ここに住んでいる人間がアボリジニだけだった頃は、昼間からゴロゴロしていようが、誰も気にも留めなかったんでしょうけど。
ややヘビーな気持ちになりつつ、オープンを待つ。

爬虫類センター、動物園や水族館のような「ハレ」の雰囲気はない。
日本にある動物園の「爬虫類館」と同じような「好きな人向け」の感じ。
派手な演出はないけど、距離感が近くて良いです。
人っ気のない道路を走っていると出会うトカゲ、こないだ捕まえ損ねた大きなヤツも飼育されている。
爬虫類がキライな人は、さっと読み飛ばして下さい(笑)。

特筆すべきは、1日2回、ヘビやトカゲと触れ合うことが出来るイベント。
こういうイベント、よそでもやってますけど、割とサービスが良いです。
エアーズロックでも似たようなイベントありましたけど、メチャクチャ高額。

たくさん楽しませてもらったので、お土産も購入。
オススメはクロコダイル・ジャーキー。
値段も手ごろ。
バラマキ用に購入したのだが…

帰国した翌日、朝イチで仕事に出掛けて、戻ってきたらご覧のあり様(涙)。
おそらくネコが「なんじゃこりゃ!面白そう!」と袋をいじってるうちに「あんた、アタシにも見せなさいよ、あら、いいにおいじゃない?」とか言って無残にも、食べられてしまったという…数千円がぶっ飛びました。

昼飯はColes敷地内のテイクアウトの中華。
物価の高いオーストラリアでは、比較的安く食べられる。
ブラブラしてたら、おそらくアボリジニのハーフの若者にからまれる。
タバコをくれとか、そんな話なんだろうけど、いちいち相手にしても仕方ないので「ハイハイ」とあしらっておく。
ちなみに、スーパーの商品はこんな感じ。
農産物は異様に安いですね。
加工品のクリフ・バーは、そんなに日本と変わらない。

ホテルで昼飯を食べて、少し休んだ後、街へ繰り出す。
街の中心部にはトッド・モール(Todd Mall)という歩行者天国があり、観光客相手の店が建ち並んでいる。
アリスも11月はローシーズンなのか、平日だからなのか、あまり人が歩いていない。TVドラマらしき撮影隊と出くわしたが、歩行者もあまりいなかったので捗ったんじゃないでしょうか。

そして、大昔にここで写真を撮影したことを思い出しました。
当時とはまた違う怪しさに満ち溢れています(笑)。

歩きながら、その昔、バイクを置いて羽を休めたユースホステルを探してみる。
随分とキレイな外観に「こんなんだったっけ?」と…
まあいいや。
ここで聞けば、いまはどんなヤツらがバイクで旅しているのか教えてもらえるだろう。
受付の若者に話しかけてみる。
すると「日本人は、ほとんど来てないね。いまも1人いるだけ。話してみたいかい?」という。
今日、この日、少ないというよりは、全体的に数が減ったという印象らしい。
昔は、何処に行っても日本人が居たものだけど…
じゃあ、バイクで旅する連中は?
「しばらく見ていないね。日本人だけじゃないよ。バイクで旅をする人が少なくなった」と首を振った。

それだけ日本の経済が足踏み状態になっていたのだろう。
観光案内所も、以前はどのツアー、アクティビティにも日本語版の案内があり(たとえ、ツアーが日本語対応していなくても、日本人に来てほしくて日本語版をつくっていた)、とにかく日本人観光客を呼ぼうと必死だったのだ。

おかたい話になるかもしれないけど、たとえば、ワタクシが初めてオーストラリアに来た頃。
1996年前後のGDPはこんな感じだった。

【日本】
1995年 43,441ドル 日本円だと3,484,639円。
1996年 38,450ドル 日本円だと3,584,806円。
1997年 35,034ドル 日本円だと3,614,762円。

【オーストラリア】
1995年 20,867ドル 豪州ドルだと47,468ドル。
1996年 23,106ドル 豪州ドルだと48,868ドル。
1997年 22,993ドル 豪州ドルだと50,595ドル。

そして、20年が過ぎてどうなったのか。

【日本】
2016年 41,352ドル 日本円だと4,116,074円
2017年 42,942ドル 日本円だと4,194,543円
2018年 44,549ドル 日本円だと4,252,784円

【オーストラリア】
2016年 51,861ドル 豪州ドルだと68,822ドル
2017年 55,692ドル 豪州ドルだと69,250ドル
2018年 56,698ドル 豪州ドルだと70,326ドル

※出典 世界経済のネタ帳 https://ecodb.net/

日本は数字上は増えてるけど1割くらいでしょう。
ちょっと乱暴な言い方になるけど、20年前、時給700円くらいの仕事が、いま800円くらい、という感じです。
でも、実際そうじゃない?
一方のオーストラリアは、単純に見積もって2倍。
現地通貨ベースだと2倍まではいかないけど、4割くらい増えている。

昔、オーストラリアに渡ったワーキングホリデーたちは、少しでも滞在を快適にすべく、渡航前に必死こいてお金を貯めた。
で、だいたい100万円がひとつの目安だったわけ。
100万円で全てを賄えるわけじゃないにせよ、100万円持っていれば、多少のことは何とかなる、と。
極論、同じように100万円を持っていっても、現地では通用しない、ということになる。

1.5倍~2倍くらいのお金を用意しないと、当時の我々と同じことは出来ないのだ。
たとえば、バックパッカー。
昔、我々が旅していた頃、ドミトリー(相部屋。8人とか16人部屋)は、10ドル以上出したら「高い」という感じだった。
10ドル以上出すんだったら、キッチンが使いやすいとか、1部屋あたりのベッド数が少ないとか、利便性が高いとか、を求めていた。
が、アリスのユースホステルは、いまこんな価格帯。

16人部屋のドミトリーが、25ドルですって!
アリス・スプリングスは有名な街かもしれないけど、ドミでこんなに?と。
ツインの部屋なんか、ホテル並み。
だったら、ホテルでいいじゃん、と思うけどなあ。

オーストラリアだけじゃん、こんなの、と思うなかれ。
北米、ヨーロッパの国々のデータをみると、オーストラリアと同じようにGDPは増えている。通貨危機を乗り越えた韓国も3倍くらい成長している。

日本、情けないなあ。
これじゃあ、観光案内所からも「日本語版」を撤去されても仕方ない。
彼らにしてみれば、日本人は「上客」じゃなくなったんだから。

留学、ワーキングホリデーを含めて渡航者数は今も増え続けているというけど、昔のような「バックパッカー」はどうなんだろう?
いまも、昔みたいに汚いカッコして、バイクに乗っている連中はいるのだろうか?
テントの端っこから首だけ出して、星空を眺めているヤツらはいるのだろうか?
もし、まだ走っている連中がいるなら、がんばって楽しめよ、と。
偉そうだけど、一応、豪州一周した人間だから、それくらい言わせて(笑)。

晩飯はアジアン・レストラン。
Kim’s Little Kitchen
多分、テイクアウトメイン。
客が居ないので大丈夫かと思ったけど、店のお姉さんが出迎えてくれた。
リーズナブルな価格だったので、旅の終盤、お金のやりくりがしんどくなってきた我々にはありがたかった。
多国籍レシピだったので、いちいち、お姉さんに内容を確認していたら
「日本語でいいですよ」と。
何とさっきまで英語で話していたお姉さんは日本人だった(笑)。

ブリスベンのバイク屋で工場長らしき人にバイクの不調を一生懸命説明していたら、店のスタッフに
「あんたら、何で日本語で喋らないの?」
と突っ込まれ、お互いに「え?日本人?」と目を丸くしたという…

翌日、午前中はコールスでお土産を買って、空港へ移動。
アリス・スプリングスから国際線出発のブリスベンへ向かう。

ブリスベンの出発便が早朝だったのでホテルは空港の傍。
飯を食べようと空港まで行ってみたけど、週末だったせいなのかレストランは閉店。
さんざん歩いて、結局、ホテルのレストラン(笑)。
最後の夜だったので、思い出に残るようなものを食べたかったけど、そこそこ美味かったので良しとしよう。

旅行記っぽく、今回の旅をまとめてみよう。
一直線に続く弾丸道路、日本では決して見られない広大な風景は、相変わらず素晴らしい。
そこに居るだけで、圧倒される。

しかし、人々が暮らす街を訪れ、その中に居ると、何処か疎外感を覚えた。
もちろん、オージーは概ねフレンドリーだし、友人のマットは最高級のもてなしで我々親子を迎えてくれた。
多分、いまの自分も含め、日本人が彼らに「置いてきぼり」を食ったと感じているからなのだろう。
疎外感というよりは、敗北感に近いのかもしれない。
そりゃそうだ。

日本じゃ200円くらいで買っているエナジー・ドリンクが倍の値段で売られているんだから。

もちろん、幸せの尺度はお金だけじゃない。
がむしゃらに走った高度経済成長時代を経てバブル経済の頃は、ちょっと度が過ぎていたこともあったし。

だからといって、いまの状況は正解じゃないでしょう。
起業のススメ、副業奨励など、選択肢が増えた気もするけど、誰もが出来ることじゃない。
普通の人が、普通に働いて生きていけるからこそ、自分らのようなフリーランス、はみ出し者が何とか活路を見出せるんであって、みんながそっちに来てどうすんの、と。

ワタクシだけなんですかね、海外に出る度にそんなこと考えるのは(笑)。
とにかく、もう未来も能力もない中高年のワタクシには、世の中をどうするとか、すごいことは出来ません。
世の中がどう変わろうと、自分がおぼれないように手足をバタつかせるだけで精いっぱいです。
バタつかせながら、潮目をみて、何とかビッグ・ウェーブに乗ろうということも考えてますけど(笑)。

今回、ぜんぜんバイクで旅するヤツらと会わなかった、と嘆きましたが、だったら自分がやればいいな、と。
いつになるか分かりませんけど、今度は、反時計回りで。
タスマニアにも渡るし、前回やらなかったダーウィンからアデレードまで完全縦断もやりたい。

クイーンズランドのエロマンガとはどんな場所なのかも気になるし(笑)。
もちろん、バイクはKawasaki Zです。
スポンサーさえ集まったら、いますぐやってもいいです(笑)。
そのまま、世界中をZで走ってもいいです。
「家計さえ入れてくれるなら、火星への片道切符でもいいよ」
と、家族からも言われてますので(笑)。
大企業さま、よろしくお願いします。

最後になりましたが、今回の旅を企画してくれたマット氏とアームストロング一族にありったけの感謝をこめて。

20年前と同じように、また、この言葉と共にお別れしましょう。

Farewell, Cowboy with Iron horse, Straight Highway and Horizon…