Kawasaki Z1R オーストラリア一周単独ツーリングレポート Qeens Land編 part 2

オーストラリアバイク一周

■1997年 6月11日  Mt. Surprise 赤い大地を突き進め! 

1週間ほど滞在したケアンズを出発する時が来た。
山田さんも同じ方向へ進むというので、一緒に走ることに。
本当は昨日のジャプカイ族の文化センターを見たら、そのままケアンズを発つ予定だったのだが、オレの船酔いが翌日にまで響いていたので、1日ずらしてもらったのだ。
情けなや…
船酔いで二日酔いになったのは、多分これが初めてだ。

オレとしてはもう一度タウンズビルに南下してから西に進もうとしていたのだが、山田さんから「同じ道を走るのはつまらないよ」と執拗に裏道というか、マイナーな細い道路を走ろうと誘ってくる。

しかも、そっちはUnsealed Road。
日本で言うダートのことだ。そりゃあなたはジェベルだからいいでしょうが、オレのはZ1Rよ。ネイキッドで旧車よ。

だから、昨日は思い悩んでいたわけ。
ビーエムおやじも甲高い声で「おーう、くれいじーめえん」と首を振る。
ちなみに、ビーエムおやじの声は欽ちゃんに似てる(笑)。
その声で「くれいじーめぇん」とか言われると、ちょっとイラっとくる(笑)。

山田さんの「Z伝説を作らなくちゃ」という一言に負けてというか、舗装道路にはなさそうな魅力を感じて怪しいルートを選択。
乗せられやすいのがオレの悪いところだ。

ケアンズから西に向って出発。
メインロードを外れているので、何となく心細い。
方角と道を確かめつつ、山間の道を走る。ただ、人が住んでいないところまで抜けてしまえば、あとは一本道。
パシャパシャとシャッターを切りながら、ノンビリと走る。

こんな風に「ありがちなショット」も、独り旅をしていると、バイクを置いて、三脚にカメラを載せて(オレは三脚を持ってなかったので、標識やガードレールの上にカメラを置いてた)、ファインダー覗いて、アタリをつけて、もう一度バイクに戻って、リモコンかタイマーで撮影して、当時はデジカメじゃないから何枚か同じようなものを撮って…
なんてことをやっていると、あっという間に30分、1時間と時間が過ぎる。
それが「いきまっせー。よろしくー」「あいよー」で終了。
お互い、気に入った景色でカメラを撮り合いながら、先へ進む。

ちなみにオレは3000回転くらいに保ちながらメーター読みで90kmだったが、山田さんは目いっぱいアクセルを開けて同じくらい。
ぶっ壊れるんじゃないかっていうくらい、エンジン回してたけど…やっぱり広い国だから250CCだと辛いんだろうね。
もし、これを読んで「オーストラリア、走りてえ!」と思ったら、悪いことは言わんから350CC以上を選ぶのが吉。
600くらいになると高速巡航もかなり楽らしいんだけど、悪路を走る時にちょっと重さを感じるみたい。
 
タラタラ走っていたら、突然検問所が。
なにごとか、と思ったら、食料品のチェックですって。

「おじさん、リチャード・アッテンボローみたいっすね」と言ってやろうと思ったが、そんな冗談も通じない雰囲気だったので、粛々と食料品を捨てていきます。最初は悔しいので、意地でもここで食ってやろうと思ったんだけど…
野菜や果物などの害虫蔓延を防ぐ大事な施設ですからね。
諦めました。ここでは南から持ちこんだ食べ物はOKだが、逆は不可。
といっても、缶詰やジュースなどの加工品はOK。
食料を取り返されても怒らないように。

200kmくらい走ったところで夕焼け小焼け。
綺麗だなと思ったのは最初だけ。
西に向って走っているものだから、夕方になると西日が眩しくて仕方ない。
おまけにトラックのような大きな車輌が走ると、路面から舞い上がる真っ赤な砂塵で視界を奪われる。

この日はマウント・サプライズに近いキャンプ場がゴール。
考えてみたら、この旅始まって最初のキャンプ。
別にキャンプ場を避けていたわけではなくて、ユースのバウチャー(お得な回数券)を持っていたから。

この回数券は使える。それに、東海岸は結構雨が続いていたので、後のことを考えて宿に泊まっていたのだ(テントは濡れるとしまう時が大変なのだ)。

ところで、テントは少し大きめの方がいい。
数泊程度の旅なら一人用のクジラみたいなテントでもいいだろうが、家財道具一式を積んで走るロングツーリングの時は、大きいテントがオススメ。
テントの中でもゆったり過ごせるし、たくさんの荷物もテントの中にしまっておける。前室があれば荷物は置けるじゃないか、と思うかもしれないが、雨足が強かったりすると前室にも吹きこんでくることがある。

日本に帰ってきてから2人用のツーリングテントを買ったけど、狭く感じる。
バイクに積もうとすると収納サイズ優先になるが、長期ツーリングなら広い方がいい。
Kマートで買った安物テントだったが、最後までどこも壊れなかったし、すげえよかった。

夜になって「そろそろ寝るか」と横になったら、テントの外にカンガルーをちっこくしてネズミと足して二で割ったような動物が現れた。ポッサムだかワラビーだかビルビーだか、写真を見せる人によってまちまちなのだが、とにかく可愛らしい。

米をくれてやったら、直接手の上から食べるのだ!
むさくるしい男がいうのもなんだが、ホントに可愛い。
以来、車にはねられてペチャンコになってるこいつらを見ると、ちょいと哀しくなるのだった。

【移動距離】
Cairns – Mt.Surprise 288km

■1997年 6月12日  Croydon ダート走行も何のその…?

いよいよダートに突入。
何かトラブルがあるんじゃないかと期待するのは読む方の勝手だが、運転している方はそれどころじゃない。
限定解除の試験官もビックリするようなニーグリップをかまし、全神経を集中させる。

Z1Rの2型でオーストラリアのダート・ロードを駆け抜けた日本人は、オレが初ではないだろうか。
そもそも、わざわざ空冷Zでオーストラリアを一周しようとするライダーがいないのね…

フカフカの路面にリアをもっていかれそうになったり、フロントタイヤが跳ねた石ころが脛をめがけて飛んでくる。
おまけに洗濯板のような凸凹が延々と続き、ステーがいかれたウインカーが下を向く。
時々ネジで締めてやるが、あんまり効果はなかった。

でも人っ気のない田舎道は走っていても気持ちがいい。
気がつくと時速90㎞くらいで走っている。
天気も良くなって、気分も最高。ダートを抜けたあたりで一服。
オレも山田さんもボーッと遠くを眺める。

人為的な音が一切ない世界。
草がカサカサいう音や、枝の間を風が通る音、鳥のさえずり。
実はこういう場所って日本にはなくなっているような気がする。
自然を満喫しにいっても、耳を済ますと車の音なんかが結構聞こえてくる。
頭の上を飛行機が飛んでいったり。シドニーで暮らしてたときもそうだったけど。

だからかもしれない。
最初は感動するっていうより「異様な世界にいるぞ」って身体が驚いたもの。
しかし、感動も束の間。
人がいないってんで、道路の真中に立ってグルグル回りながら用を足してみる。
自分でもこんなことで喜ぶなんて、本当に器のちいせえ人間だとも思う。
だが、思いついたことを「カッコ悪い」「みっともない」ってスカしてやめてしまうのも器が小さい。
別に誰の迷惑になるわけでもないし。

そんなこんなで、ご満悦のままスロットルを開けていたら、ここでさらなるトラブルが発生。
突然股のところにチクっと鋭い痛みが。
何事かと視線を落としたら、タンクと息子の間にハチだかアブが挟まっていたのだ。
ヤバイ!!
よりによってそんな大事な場所を刺すなんて。
しかも相手は異国の昆虫。どんな毒を持っているか分からない。

明日か明後日になって『日本人旅行者、ハチに性器を刺され死亡(ロイター発共同)』とか報道されたら、とんだ笑い者である。
そんな死に方したヤツの葬式なんて誰も出たいと思わないだろうし、家族も情けない思いをする。
スポーツ新聞や週刊誌には『世紀(せいき)の珍(チン)事』なんて面白おかしい見出しで紹介されるだろう。
 
真っ青になったであろうオレは、とりあえずバイクを降りて、息子をあっち向かせたり、こっち向かせたり、ひっくり返したりして傷を調べる。
見たところ、特に腫れてもいないようだ。虫も気持ち悪かったんで、早々に引き上げて行ったのだろうか。
ホント、一時はどうなることかとヒヤヒヤした。

そして、またダートに入ってゴトゴト揺られる。
途中、日本の自転車旅行者を見かける。
何やらトラックの運転手と話しこんでいる。
トラブルだろうか。

ややスピードを緩めてやるが、前を走っていた山田さんはそのまま素通り。
「山田さん、冷てぇな」とか言ったら「何かありゃあ手でも振ってくるさ」だって。
そりゃそうだ。
でもあの速度じゃ、気づいて手を上げる前に通りすぎてると思うんだが。

昼過ぎまで走った我々は、クロイドンという街だか村だか集落のキャンプ場に到着。途中に見かけた自転車乗り(チャリダーというらしい)もやってきた。
彼は延々と同じ方向を向いて走っていたもんだから、身体の片側だけが焼けていてとても痛そうだった。

何で白黒なのかというと、PCで雰囲気を出したわけでも何でもなく、単にフィルムが白黒だったから。
モノトーンにしたら、カッコいい写真になるんじゃないかと思ったけど、単に伝わりづらくなっただけ(涙)。
建物はまだしも、自然の風景はカラーで撮影すべきだった。

□2022年11月追記
白黒画像をAIがカラーにしてくれるサイトを発見。
色の再現性はともあれ、白黒よりはよっぽど素晴らしい!
以前の写真と並べるので、比べて頂きたい。

エアフィルターにはオーストラリア特有の赤い砂が。
砂といっても、粉のような細かいものがあちこちに入り込むのが厄介だった。

夜になって空を見上げると、満天の星空。
日本じゃ滅多にお目に掛かることのない輝きだ。
ケアンズ辺りから、本当に天気が良くなって嬉しい限り。

【移動距離】
Mt.Surprise  - Croydon 240km

■1997年 6月13日  Karumba 地平線と水平線のリゾート(?)

もう一泊するというチャリダーと分かれ、オレたちは再びダートを走った。
ハッキリ言ってZ1Rでのダート走行はキツイ。
でも昔、750RSが出た頃の日本はこんな道が多かったはず。タイヤだって現在ほど性能は良くなかっただろう。
昔の人間に出来て、オレに出来ぬはずがない!と気合を入れる。

当初の予定では、ある程度西まで走ったら南下するはずが「海を見に行こう」ということになり、北上。
ケアンズのちょうど反対側の海に出ることになった。
海を目指しながら走っていると、オレたちはとんでもないものを見た。いや、ついに見ることができたというべきか。

そいつは、見渡す限りの地平線だった。
テレビや写真でしか知らなかった、周りがぜーんぶ地平線という光景。
そりゃ、高いところから見下ろしてってのは日本でもあるけど、ホントにつま先の高さの地面が遮蔽物もなく延々と続くんだから。
もう、涙が出るくらい美しかった。
「すんげえ」と呟いたきり、オレも山田さんもしばらく心を奪われていた。

ただ、まっすぐ、平坦な地面が地平線まで続く異常な光景。

地平線に向かって伸びる弾丸道路を走りながら、オレたちはカルンバという海辺の街を目指した。
この辺は、アボリジニの領地があったり、ちょっぴりワイルド。必ずしも心温かい人たちばかりとは限らないので注意。
街の雰囲気も決してウェルカムではない。

途中で酒場に立ち寄った時も、マシンに乗ったオレたちを訝しげに眺めていた。
オレの場合は、人相もカッコもこの通りなので、向こうがひいてたけど。

そりゃそうだよね。
木の床をゴツーン、ゴツーンとブーツの踵を鳴らして入ってきたヤツは、革ジャンとデニム。
その下にはゴツいプロテクタースーツ着てるし。
挙句の果てに、オーダーが「えーっと…アイスミルクをひとつ」だもの(笑)。
もちろん、コブラ(寺沢武一:著)の真似だったんだけど伝わるわけもなく…
 
着いてから知ったのだが、ここはオージーにとっても隠れたリゾートらしい。
大きな港もなくて、ひなびた感じのいいところだ。
さっさとキャンプ場に荷物を置いて、オレと山田さんは釣りに出かけた。

だが、カルンバの海は遠浅の砂浜。投げ竿があればいいのだが、二人ともハンドリール。
ウェイトを増やして思い切りぶん投げる。
といっても、所詮は手投げ。そこいらにボチャっと落ちておしまい。

一生懸命、仕掛けを作っている。後ろに拡がる地平線、分かってもらえるだろうか。

鎖鎌の要領で仕掛けをブンブンと回して、タイミング良く手を離す。
何度も言うけど、オレの姿なんかどうでもよくて、この景色の雄大さ…ここに着目してほしい(笑)。

ハイ、釣れました~ ちなみにズボン・インなのは、裾をひらめかせてると背中から蚊に刺されたりするから。
カッコ悪いけどしょうがないの(涙)

遠くではペリカンが優雅に滑空して獲物をゲット。うらやましいやらくやしいやら。
結局釣果はシロギス(だと思う)3匹。「天ぷらにしたらうまいだろうなあ」と思うが、そいつは無理ってもの。
海に沈む夕日を楽しんだ後、シロギスは定番になりつつあるアラ汁になった。

【移動距離】
Croydon – Karumba 225km

■1997年 6月14日  Cloncurry 死臭ただよう弾丸道路

今度は地平線から昇る朝日で目覚める。
何もないところだが、四方が真っ平なのでそういう贅沢ができる。
『未知との遭遇』よろしく、キャンプ場の人たちがみんな一緒になって朝日を眺めている。
オージーにとっても珍しい景色なんだろうか。
そりゃ、みんなが地平線の見渡せる所に住んでるわけじゃないから、当たり前か。
 
水を補給するため、水道管をひねってみたが塩っけのある水だったのでアウト(笑)。
オーストラリアは上下水道が整備されているので水道水をそのまま飲めるのだが、ここでは無理だった。
この頃、水だけを飲む、というのに慣れていなかったので、普段はティーパックをペットボトルに入れておいた。
一回目の休憩の頃には、紅茶になっているので、旅の間は、そうやって走っていた。
朝飯をかっこんで、早々に荷物をまとめる。今日で山田さんともお別れ。
オレはここからエアーズロックを目指し、山田さんはそのままダーウィンへ向う。

撤収作業。盗難を防ぐため、基本的に荷物は前室にて保管。衣類など濡れて欲しくないものはテントの中に入れる。
寝袋の下に敷くマットは、当初使っていたが、基本的にオーストラリアのキャンプ場はとてもよく整備されていて、ご覧のように状態の良い芝生が敷かれているためマットは使わなくなっていった。


ダートとオンロードの境目が、オレと山田さんの分かれ道。
ジェベルはダートを、Z1Rはオンロードを。
それぞれの本来の場所へ戻ることになる。
再会を約束して、走り出した瞬間、カンガルーが飛び出してきて、危うく転倒しかけた…真昼間は彼らも出てこないが、日が落ちた後、早朝は要注意。


ところで、今日は珍しいバイクに出会った。

途中で立ち寄ったガソリンスタンドのガレージに置いてあったものだ。2スト単気筒のハーレーダビッドソン?
写真を撮りたいといったら、ガレージからわざわざ出してくれて…

記念に写真撮影も(笑)。こういう片田舎に掘り出し物があるのは、オーストラリアも日本も変わらないようだ。

賑やかで、何処を走っても人々の笑顔に出会えた東海岸を抜け、美しい海が広がるKarumbaから内陸部に南下したわけだが、山田さんと別れて走るにつれ、緑の木々は姿を消し、赤茶けた大地が剥き出しになっていく。
路上や路肩には、牛やカンガルーが脚をつっぱらせ、まるでひっくり返したテーブルや椅子のような姿で死んでいた。
長い間、片づけられることがなかったのか、時速100km近くで通り過ぎてもヘルメット越しにものすごいニオイが飛び込んでくる。
それまで、誰かと一緒にいたせいか、死臭が漂う荒涼とした光景に寂しさを感じた。

これがアウトバックと呼ばれる世界なのか。
これもまた、オーストラリアの現実なのだろう。

久しぶりに400kmを走ったせいか、かなり身体にこたえた。
無事にCloncurryに着いて、この日は早々に寝てしまう。

【移動距離】
Karumba – Cloncurry 452km

■1997年 6月15日  Mt.Isa 鉱山の街

早起きして、9時前には出発。
ちょっと寄り道の予定がある。
昨日のキャンプ場で一緒だったオーストラリアの旅行者に『クロコダイル・ダンディ』のロケが行われたバーがあることを教えてもらったのだ。
場所は国道を一度東に引き返して、さらに南下した所らしい。
街ではなく、道路沿いに建っているから見逃さないようにとアドバイスされる。

教わった通り、店はハイウェイに突如として出現する。だが、観光客を集めようというのか『クロコダイル・ダンディーのバー』とバカでかい看板が立っている。店に入ると「こんなんだったかな?」という感じ。確かに壁にはロケの写真が貼ってある。
店のオヤジがいうには、昔はもっと引っ込んでた場所に建っていたのだが、客を呼ぶために国道沿いに移転させたらしい。
それでも珍しいことに変わりはない。お土産用に店の名前の入ったライターをまとめ買いしてしまった(笑)。

正確には、Walkabout Creek Hotel。何度も言うけど、ホテルはパブやバーのことで宿泊は出来ない。

割とあっさりした感じで自己主張がないと思いきや…

中に入ると、結構クロコダイル・ダンディーを出してますな(笑)。

それにしても、クロコダイル・ダンディーを知っている人、いまはどれだけいるのかな…昔は、よくTVのロードショーで放映されてたんだけどね。
Walkabout Creek Hotel は2018年現在も営業中(2024年7月追記。一部営業しているようだが、現在は売却が進められている。このまま買い手がつかなかったら、閉鎖されるかもしれない。もはやクロコダイル・ダンディーはオーストラリアを代表するコンテンツではなくなったのかも)。

他には見るべきものもないので、ひたすら西へ向う。
西へ行くんだニンニキニキニキ…と口ずさみながら走る。
ドリフの西遊記が不思議だったのはさ、志村けんが孫悟空、いかりや長介が三蔵法師、という具合にメンバーそれぞれ役があったのに、カトちゃんはカトちゃんのまんまなんだよな。ほかに当てはめるキャラがいなかったからなのか。
まあいいや。すまん。若者には解らないネタだね。

そんで今日はマウント・アイザがゴール。
来るまではマウントイサと呼んでいたが、アイザが正解。
ここは『鉱山の街』として有名で、今や日本ではほとんど見れなくなった煙突から、四六時中煙が昇っている。

おまけに、毎日岩盤をぶっ壊すために発破を仕掛けている。
鉱山の街と聞くと「衰退の一途をたどる」イメージを抱いてしまうが、それは日本での話。
人口3500人の街ながら、携帯電話が通じる。
後から聞いた話では、ここの街は宮崎駿の『未来少年コナン』のモデルになったらしいが…あまり良く分からなかった。
多分、そのままではなく、インスピレーションを得たんだと思うけど。

【移動距離】
Cloncurry – McKinlay 108km
McKinlay – Mt.Isa 227km

■1997年 6月16日  Barkly Homestead 冷たい風の荒野

昨夜は、何故か2時過ぎまで眠れなかったせいか、起きたら8時30分を回っていた。
荷物をまとめ、街をグルグル回ってようやく見つけたコールスで食糧を仕入れ、Kマートで紛失してしまったテントのペグを購入。
そういえば、シドニーのフラットを出発してから1カ月。最初の頃はパッキングにも時間がかかり、毎回「あれ?違うな」と首を傾げながらキャリアに積んでいたのだが、今では顔を洗う、歯を磨くのと同じようなルーティン・ワークとして身体に染みついていた。

マウント・アイザを過ぎた頃から、またも冷え込みが厳しくなってくる。
グローブをしていても手は紫色になり、唇はカサカサ。
普段つけたこともないメンソレータムを塗らないと厳しいくらい乾燥して、寒い。ちょっと前なんて暑い暑いとぼやいていたのに。
 
たまらず、ガソリンスタンドでホットミルクティを飲むが、芯まで冷えた身体は暖まるまで相当時間がかかる。 
走りながらシリンダーに手を伸ばすが、一時しのぎに過ぎない。
このまま走れるだろうか。

よく見たら、ここはモーテルだ。
イヤらしいモーテルじゃないぞ。モーターホテルの方ね。
車で旅行する人が使うホテルだ。
最悪、ここで泊まるのもいいだろうか、と思案していたら、一体何度目なのか、という職務質問。
警察官の横柄な態度にカチンときたので…
「何の用だよ、おまわりさん」と強気に出てやる。

日本人がみんなニコニコ、ヘラヘラすると思ったら大間違いだ。
「君、さっきノーヘルでバイクに乗ってただろう」と警官。
けど、スタンドの敷地内は公道じゃないんだから、メットをかぶる必要はないはずだ。しかも、乗ったって言っても、他の車が燃料を入れるのに邪魔だったから、マシンをどかせただけだ。
何か問題があるのか?

オーストラリアにやってきた頃「これをください」という言葉すら喋れなかったオレだが、半年も暮らして本気で勉強すれば言葉なんか何とかなるもので、真っ向勝負を挑んでみた。
オレの態度が気に入らなかったのか、それとも怪しいヤツだと感じたのか、この警察官(フランクという名前らしい。ちゃんとアンタの所轄と氏名を教えろ、と言ってやったのだ)は執拗に尋問してきた。

まったく、どこの国に行ってもうざったい警官はいるもんだ。
それとも、この辺が治安が悪くて、余所者はすかさずチェックするんだろうか。
だとすりゃフランクも職務に忠実だっただけ。
こっちも別にことを荒立てる必要もあるまい…

フランクが言うには、ここから260kmくらい行かないとキャンプ場はないとのこと。
しかし、そこまではスタンドがないので満タンにしていけよ、とのこと。
なによ、フランクもいいヤツじゃん(笑)。

ちょっと走ると『注意!これより260kmガソリンスタンドはありません』と恐ろしげな看板が立っていた。
そいでもって、ここがクイーンズランド州とノーザンテリトリーの境目。
いよいよ本格的なアウトバックへ突入だ!

【移動距離】
McKinlay – Barklly Homestead 450km

QLD 総移動距離 4096km
Coffs harbour – Surfers Paradise 321km
Surfers Paradise – Brisbane 80km
Brisbane – Rockhamton 635km
Rockhamton  - Mackay 336km
Mackay – Townsville 387km
Townsville  - Cairns 347km
Cairns – Mt.Surprise 288km
Mt.Surprise  - Croydon 240km
Croydon – Karumba 225km
Karumba – Cloncurry 452km
Cloncurry – McKinlay 108km
McKinlay  - Mt.Isa 227km
McKinlay – Barklly Homestead 450km  

NSW QLD Part1 QLD Part 2 NT WA Part1 Finland  France Italy
Canada&USA WA Part 2 SA VIC  ACT  Appendix Appendix2015

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