Western Australia Part 2

■ 1997年 8月30日 Perth  オーストラリアに戻ってきたものの…
長い長い時間を掛けて、ようやくのコトでパースに到着。
床擦れならぬヒコーキのシート擦れで背中やらケツが痛い。
だってトロントからホノルル、ホノルルからシドニー、シドニーからパースだぜ。
ホノルルでは数時間のトランジットがあり「ハワイだ!ワイハだ!」と浮かれていたのだが、よくよくフライトスケジュールを確認したら真夜中。
「ただいまホノルル空港に到着しました」と言われても全然分からない…(涙)。
閑散とした空港を歩きながら匂いを嗅ぎ
「あ、南国っぽいかも」と雰囲気だけ味わって終了。
これまでもハワイに限らず、実はトランジットだけでしか訪れていない国が。
日本を出国した時も韓国経由だったし。

今回のフライト、待ち時間を入れれば、24時間を越える。
何しろ出発日が8月28日で、到着日が8月30日。
3日掛かりで帰ってきたことになる。

さすがに、シドニー空港に到着した時は笑っちゃった。
最終目的地なのに、パースに引き返して、また自力で戻らなくちゃならないんだから。
何だかなー。正直、水を差された感じではある。
オレ的には旅を終えた直後に「帰ってきたぜ、シドニー」とか言って、親指を立てたかったんだけど(笑)。

シドニーからの国内便、隣に座ってたオバさんはパースの人で、息子が迎えにくるので一緒に乗っていけと勧められる。
いやーありがたい。

ヨーロッパを歩き回った後だと、オーストラリア人がやけに優しく感じる。
というより、正直ホッとしていた。言葉は通じるし、勝手が分かるし。
それにちょっと驚いたのが、心の中で「帰ってきた」と思ったこと。
もはや、この国はオレの第二の故郷なんだろうね。

ところで、ビザはとりあえず空港で発給された観光ビザで入国。
まあ、この先働くこともないのでワーキングホリデービザは要らないだろう。
それに、観光ビザの方が延長はラクなのだ。

後になって知ったことだが、オレのように一度出国する場合は移民局で手続きをしていくと、延長がきくらしい。
それと、ワーキングホリデービザから観光ビザへの切り替えは絶望的に難しい。

担当者によってもかなり違う。
こんなに違っても言いのだろうかって言うくらい違う。
たとえば観光ビザで入国、不慮の事故で滞在スケジュールが伸びそうになったので延長を申請したが不許可になった日本人ライダーと出会った。
彼は移民局に足しげく通っていたのだが、別の担当者になった途端「何だ、一ヶ月とは言わず元旦の花火も見て行けよ」なんてことを目の当たりにして「何ていい加減な…」と絶句したこともある。

話を元に戻そう。
パースの空港からシティまでオバさん一家に乗せてもらい、まずはRBPへ向かう。
実はヨーロッパ・北米旅行中、寝袋やテントだのツーリング以外で使用しないものは、まとめてRBPに置いていったのだ。
「帰って来たぜ~」とRBPに戻ってみたら、キレイさっぱり片付いている。
というよりも、何も無い。
宿泊客の気配すらない。

マネージャーの話では、いよいよ冬になり、あまりにも日本人ライダーが来なかったので一般客に開放してたらしい。
この寒い時期、バイクで走る連中はもっと暖かい場所へ移動しているのだろうか。
未だ見ぬライダーたちと夜な夜な旅の話と酒盛りで騒ぎたかったオレとしては、寂しい気持ちというか、自分だけが取り残されたような気持ちになってしまった。

ぼんやりとタバコを吸いながら、すっかり時差ボケでまいってたオレは一刻も早く眠りたかったのだが、RBP再生のために日本人の共有財産を物置から運ばされる。
そのなかには、オレが置いて行った荷物もあったのだが、巧妙に隠しておいた携帯電話も無事だった。
しかし、何故かあんなにあったエロ本がどっかにいってしまった。
やっぱり、公序良俗に反する物品はまとめて処分されたんだろうな(笑)。

結局、夜になっても誰ひとりとして宿泊客は来なかった。
部屋の外からは相変わらず宿泊客の賑やかな声が聴こえてきて、だだっ広いRBPに独りでいるせいか、余計に寂しさがつのる。
  
■ 1997年 8月31日 Perth  その名はKawasaki

翌日、冷蔵庫も空っぽなので独りで買い出しへ。
夕方、Zオーナーズクラブのジョン宅へ行ったら、もう一人の日本人メンバーと対面。
彼の名前は川崎君。
KH250に乗る彼は、まさにカワサキに乗るために生まれてきたような男だ。
以下は彼がクラブに入る時のエピソードだ…

「あの、日本人だけどメンバーになれるんでしょうか?」
「全然問題ないよ。それで君の名前は?」
「カワサキです」
「そいつは君が乗っているバイクだろう。君の名前だよ」
「いや、だからカワサキだってば」
「冗談はいいから、君の名前は…」

ほとんどベタな漫才である。
普通、外国に行けば名前で呼ばれるのに、彼はカワサキ、カワサキと呼ばれていた(最近は名前で呼ばれているみたいだが)。
そんでカワサキ大好きなんだから。
まあ、他のメーカーのバイクには乗りづらいか。
でも、鈴木さんでもホンダやヤマハに乗ってるから関係ないか。

オレのマシン、オーバーホールも終わってもう絶好調。
エンジンの吹けあがりもバッチシ。
外装も綺麗になってたし。
ただ、真っ二つのクランクケースのカバーは見つからなかったらしい。
以前のようにテープで固定されるにとどまっていた。

ジョン宅で川崎君と。生まれる前からカワサキのマシンに乗るべく運命付けられていたような男だ。

■ 1997年 9月 1日 Perth  慣らしていかないとね…
RBPに帰ったら、日本から荷物が届いていた。
中身はヘルメットのスモークシールド(越後さんアリガトウ)。
長旅というかオレの扱いが悪かったので、メットのシールドはもうボロボロだったのだ。
色をスモークにしたのは、サングラスの代わり。
独りでやることもなかったので、ひたすら、エンジンの慣らし。
オーストラリアは、だだっ広いので、比較的短時間で距離も伸びる。
ぶっ飛ばしたいところだが、ジワジワと慣らしていくしかない。

■ 1997年 9月 2日 Perth  またも雨
昼間は川崎君とフリーマントルに出掛けてみたものの、雨にやられて退散。
前に滞在していた頃は、気温は低かったが天気は良かった。
そもそも、あまり傘を持って歩いた記憶がないオーストラリアだったのだが、ここへきて、雨にやられまくり。
日ごろの行いが悪かったんだろうか。

ぶっ壊れたフェアリングの代わりに、マットがZ1R風のカウルを用意してくれた。
連日の雨でなかなか塗装が乾かなかったのと、低い気温のせいで、カウルにフェアリングを取り付ける際、割れそうになる。
マットが丁寧に作業してくれたおかげで、壊れなかったけど…9月になれば、もう少し寒さも和らぐのかと思いきや、まだまだ冷える。
このままの天気では、走り出すのもつらいだろうな…


■ 1997年 9月 3日 Perth  タイヤ交換
ナラボー平原の走行が控えているので、タイヤチューブを交換することに。
タイヤを交換したことはなかったけど、チューブ自体が不安だったのだ。

ところが、バイク屋に行ったら
「忙しいから自分でやってくんねえか。その分、工賃は安くすっからよ」だって!
すげェ世界だ…仕方ないから自分でシャフト外して入れ換え作業。
さすがにタイヤはチェンジャーで組んでもらったけど。
 
フロントはまだしも、リアに一苦労。
センタースタンドがあったから、まだよかったけど、チェーンラインがちゃんと出ているか不安だった。
途中からマットが来てくれたので、大助かり。
ZオーナーズクラブWAのみなさんには、ホントーにホントーにお世話になりました。
日本人は人の和を大事にするというけど「波風を立てない」という意味での和だったりする。
オレがここで出会ったオージーの和は「とことん、人にやさしくする」だった。
ありがとう、Zオーナーズクラブのメンバーたちよ!

【整備記録】
タイヤチューブ交換



■ 1997年 9月 4日 ~ 9月 5日 Albany 豪州ツーリング再開!
いよいよ…いよいよもってパース出発。
何だかんだいって、パースには前後あわせて2週間滞在。
今回の旅では最も長くとどまった場所だ。
いつもなら、ユースもしくはバックパッカーに滞在する日本人が見送ってくれるのだが、今日は皆無。
その代わり、KHに乗った川崎君が見送ってくれた。
スロットルを徐々に開放してゆく。

一ヶ月ぶりのロング・ラン。
今日はどこへ行こうか。
どの道を通って行こうか。
久々にそんな旅が始まる……

と書けばカッコいいが、実際は海沿いを走るか、内陸を走るか最後まで悩みっぱなし。
この辺はワインナリーが多いのだが、よくよく考えてみたら今は冬。
ブドウ摘みなんてとっくに終わっている。
それに飲んだら、運転できないし。
しょうがないから、そのまま走るか、と内陸を選ぶ。

途中、日が暮れてしまい、アルバニーだかオールバニィという街に着いた頃にはすっかり夜になっていた。
野生動物のヒットが怖いので、オーストラリアでは絶対にやってはいけないナイトランだったが、それほど田舎じゃなかったので油断していた。
しかも、日が落ちるとぐっと冷え込んでくる。
季節をひっくり返せば、まだ春先だ。
この気温でキャンプはしたくない…

必死でウロウロしてたら、またもや警察に職務質問される。
もう、どんだけ職質されてんのオレ。
しかも、すごく忙しいのに。
宿を探す姿が、よほど怪しかったのだろうか。

とりあえずパスポートを見せたところ、警官の態度が激変。
「キミはすごいな!NSWからここまできたのか!?寒いから気をつけてな」だって(笑)。
こういう優しい警官だけだといいんだけどね。

陽が落ちたとはいえ、ユースが早めに見つかったのは不幸中の幸いだった。
冷えた身体をシャワーで温め、コールスのインスタントラーメンを食べる。

リビングで熱い紅茶をすすっていたら、ユースで働いているお姉ちゃんが話し掛けてきた。話してるうちに「もうちょっとLとRの発音をしっかりした方がいいわね」と発音練習させられる。英語圏の人たちには、日本人のLRが耳障りなんだろうか(笑)。
まあでも、こんな風にかまってくれるのはありがたいよね。
 
翌日、街の探索に出かける。
ここアルバニーは古くからの港町で、どこかヨーロッパ的な町並み。
海も近く、ホエールウォッチングも楽しめるらしいが、冬はあまり面白くないトコロだ。

OH直後だったので、とりあえずオイル交換。
ここで手抜きすると、エンジンの寿命が短くなるんである。
一日で慣らしの距離が走れるんだから、たいしたもんだ。

ボンヤリしてたら、バイク屋の店員が壁に貼りつけた大きな日本地図を見せられる。
ここを訪れたライダーは自分の出身地に虫ピンを刺して、名前を書き残してゆくのだ。

さすが、関東地方は多いけど、わが宮城県は少ないねェ。
オレの田舎なんて、誰もいやしない…
いつの日か、誰かオレに続いて空冷Zでの旅に挑戦してくれれば面白いのにな…

【整備記録】
オイル交換

【移動距離】
Perth – Albany 531km 

■1997年 9月 6日 ~ 9月 7日 Esperance 雨と寒さとやるせなさと
朝から雨。
雨足はそれほど強くはない。
でも、晴れる様子もない。さんざん迷った挙げ句、出発することに。

しかし、この出発は大失敗。
30分もしないうちに豪雨が始まり、横殴りの風が身体を直撃。
マシンもまっすぐ走れない。
多分、こんな嵐のような風に遭遇したのは初めてじゃないだろうか。

あまりの雨の強さに、途中の峠道で停車。
日本から持ってきたけど、一度も使ったことのない、非常用のコールマンの安物ポンチョをはおって走ってみた。ところが、時速160㎞(推定ですよ。推定)の風圧で1時間後には八つ裂きとなる。
ズブ濡れになりながらもスロットルを開ける。
ヘルメットの中で唇は震え、指先の感覚が遠ざかってゆく。

ああもう、何でこんな苦労しながらマシンに乗ってるんだろ?
こんなんだったら、雨が晴れるまでいればよかった。
ついこないだまで「バイクに乗りたい、バイクに乗りたい」って騒いでいたのに。
 
あまりの寒さにどんどんマイナス思考になりながらも、本日の目的地エスペランスに到着。ここもホントならすごく綺麗な所らしいが、こんな季節なので宿にも観光客はほとんどいなかった。

そのかわりと言っては何だが、バックパッカーには、牧場だか何だかで働くアボリジニたちがいっぱい。飲めないクセに酒を飲むものだから、みんなアル中。
昼間からビール飲みまくり。
しつこく絡んでくるので、ブチ切れそうになること数回。
ただ、多勢に無勢、まず勝てそうにないので、知らんぷりしておいた。

革ジャンもぐっしょり。
まったくツイてない。

本当は良くないのだが、濡れたままじゃしょうがないので、革ジャンとブーツを乾燥機に放り込み、ロビーでガタガタ震えていた。
完全に乾く前に乾燥機から取り出してみたが、すっかり形が崩れてしまった。
テレビを観ていたら、ダイアナ妃の葬式が中継されていた。
ほんの1か月前、オレはパリに居たのだ。
何だか複雑な気持ちで葬儀を見つめていた。

翌日、食料が底を尽きる。街へ買い出しに行ったら日曜日なので、どこも休み。
おまけに雨が続く。
とにかく雨には当たりたくないので、大人しく待機。

それにしても、オフシーズンのエスペランスはつまらない。
本当ならすごいキレイな景色が楽しめるところらしいのだが…
やることもないので、酔っ払ったアボリジニ相手に『アボリジニ語』を教わったりとか、アボリジニの頭目らしい男たちとラグビーをやったりとか、そんなことでお茶を濁した。

【移動距離】
Albany- Esperance 480km

■ 1997年 9月 8日  Caiguna 地平線の先を目指して
朝、ウールワースで食料と雨具を購入。
幼稚園児が着るような黄色いレインコートしか売っていなかったが、雨に濡れるよりはマシだった。もうすっかり雨に対してナーバスになってしまっている。
 
今日から、いよいよナラボー平原に突入。
エスペランスから一度北上。
200㎞ほど内陸に入ってから、進路を東へ。

ここから先は、1000㎞くらい街はない。
地図上に地名はあるけど、ほとんどガソリンスタンドを兼ねたキャラバンパーク。

ホントに一本道だ。
どうせ警察もいないだろうと、ガンガン飛ばす。
キッチリ整備されたマシンは、回転数を上げてもオイルは全然減らない。
実にいい気持ちである。

どこかでメーター振り切れまでスピードを出したかもしれないが、速度については忘れましたということで(笑)。
夢で見たのかも?ひとつも記憶にございません。
前にも書いたけど、基本的に3000回転巡航が基本。
チンタラ走ってるかもしれないけど、低燃費だし、カンガルーだのエミューが飛び出してきても、このくらいの速度域なら何とかなる。
回避は出来ないかもしれないが、最悪、自分だけは助かる可能性は高い。

この日は500㎞あまり走ったところで、カイグナ(Caiguna)というキャラバンパークに泊まる。
4000回転ペースで走っていたので、速いこと速いこと。
この感じだと、ナラボーも2ストップくらいで通り抜けることが出来るんじゃないだろうか。

そして、今日は久しぶりのテントだ。
大地に寝そべると、身体が心地よかった。
これこれ、この懐かしい感覚。

いつのまにか、フカフカのベッドよりも草や土の匂いが落ち着くようになったらしい。
夜空を見上げると、これまた久しぶりの星が空いっぱいに広がっていた。

明日も晴れますように!!


のどかな景色ではあるが、例によってこの調子の道が何百キロも続く。
ちょっとしたトラブルが、まさに致命的となる。

【移動距離】
Esperance – Caiguna 575km 

■1997年 9月 9日  Ceduna 怒涛の1000km走破!
実は、本日、平成9年9月9日だったりする。
運命の確率変動、いわゆる「フラグ」がありそうなので、何となく慎重になる。

景色はもはや見渡すかぎりの地平線。
100㎞走ろうが、200㎞走ろうが、まったくもって同じ風景。
目の前には、永遠とも思われるアスファルトの直線が伸びている。
 
まるで、クソゲーの手抜きされた背景。
もう、これこそが弾丸道路だ。
巡航速度は時速150㎞に迫ろうとしており、時々前を行くロードトレインを何度もパスする。瞬間、ああナラボーで最速はこのオレだ、と酔いしれたりして……
なんて調子こいてると事故ったりするので、時々、スロットルを戻してみたり。

見渡す限りの地平線ってのはファンタスティックだが、実はタイヘンなこともある。
例えば、おしっこがしたくなって路肩に停めるとする。
辺りを見回して「よっしゃ!誰もいないぜ」とジッパーに手をかけると、地平線の向こうから車の影が。

ああ、オレから見えているってことはあっちからも見えているんだろうな。
と、思うと出るものも出なくなる。

「あの人、立ちションしてるわ。いやあねえ」なんて思われたら最悪。
別に会うわけじゃあるまいしって?
対向車ならまだいいけど、同じ車線の車には要注意。
どこかのスタンドでバッタリ会うことも考えられる。
「あら、さっきの立ちション君じゃないの」なんて笑われたら目も当てられない。
何しろ、一本しかない道なんだから。

ラフでおおらかな国民性だと思っていたが、立ちションをする男は皆無に等しい。
キングス・クロスの繁華街でも、立ちションしている男をみたことはなかった。
なので、立ちション(もう、何回書いてるの…)するのは、日本以上に気をつかう。

それでもって、こっちの非常事態に限って車はチンタラと…もとい安全運転で走っていらっしゃる。
早く地平線の向こうに消えてくれ!とタバコを吸いながらガマンする。
で、地平線の向こうに消えてから、いそいそと事を成し遂げるわけだ…
というわけで、全然タイヘンなことじゃなかったですね、すんません(笑)。

あんまりにも気持ち良かったせいか、この日はもう鬼神の走り。
とうとう走行距離は1000㎞を突破!1000㎞って一体日本のどこからどこまでだ?
ていうか、平成9年9月9日、999.9kmを狙ってやったんだけどね(笑)。
気がつけば、もうWAを越えて、SA(南オーストラリア州)にやってきた。

でも身体は結構キテる……
1000km走ったせいなのか、横になっても心臓がバクバクいってる。
ライダーズ・ハイというヤツだろうか。
目を閉じても、地平線の向こうに続く道路の幻が脳裏に浮かび、眠れない。

3ストップは必要だと思ってたナラボー、結局2ストップで終了。
もったいないかったか?

当時の記録は、ここで締めくくっているが、非常にもったいない話である(笑)。
天候は悪くなかったので、ナラボーのガソリンスタンドをベースキャンプにして、南の海を見るもよし。
あるいは、ガソリンを満載にして、インディアン・パシフィック号の線路脇を走ってもよかったかもしれない。

もし、やり直せるのであれば、当時買えたかどうか分からないけど、チューブタイヤ用の緊急パンク修理剤を持っていくなり、チューブレスが履けるホイールに変更して(純正ホイールを無理矢理チューブレス化にする方法もあるが)、ナラボーのダート・ロードを走りたい。
きっと1日1000km走破の自己満足な「お祭り」よりは、充実したツーリングになったんじゃないかと思う。

このあたりのネガが見つからないので、PENGUIN CARTOGRAPHIC 社のAUSTRALIAN ROAD ATLASより Gaiguna から Cedunaまでの
地図を載せてみました。地図上での距離は900kmはないのだが、それでもバイクで1日に走る距離ではない…

【移動距離】
Caigna – Ceduna 999km

WA Part2 総移動距離 2585km
Perth – Albany 531km
Albany- Esperance 480km
Esperance – Caiguna 575km
Caigna – Ceduna 999km

NSW QLD Part1 QLD Part 2 NT WA Part1 Finland  France Italy
Canada&USA WA Part 2  SA  VIC  ACT  Appendix  Appendix2015

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