Queens Land part 1

オーストラリアバイク一周

■1997年 5月18日~ Surfers Paradise ちょっとだけリゾート気分

目が覚めたオレは、ベッドから飛び起きた。
今日の天気はどうだ?が、窓の外は相変わらず曇り空。
さあ、どうする。行くか、とどまるか。
雨に濡れた革ジャン、Gベストは生乾き…なんてものじゃない。
絞れば水が落ちるのではないかと思うほど濡れている。
 
旅に出て数週間でも過ぎていれば
「雨もまた縁でしょう」と、気持ちを切り替えることもできようが、この時のオレは、少しでも前に進みたくてしょうがなかった。
昨日のように、たかだか100km走っただけで、大雨に阻まれてもいい。
前に進むことを選んだオレは、身支度を整え、北を目指して走り出した。

天気予報では、晴れるようなことを言っていたが、まだ日はささない。
相変わらず薄暗い雲が広がっている。
いったい、この曇り空はいつまで続くのか。
いつになったら、青空に会えるのか。

ところが、走り出していくと少しずつ、青空が見え始めてきた。
少しずつではあるが、雲が減り始めている。
こいつはウレシイ。
ほんの少しだけど、ぶっとい真っ直ぐの道路もお目見えする。
いい感じだ。コレだよ、オレが求めていたのは…この弾丸道路!! 
「弾丸道路がナンボのもん?ワインディングロードの方がずっと楽しめるじゃないの」

そりゃそうなんだけどさ。
でも、地平線の向こうまで一本道の道路って実際どれほど走る機会がある?
少なくとも日本じゃそんなにないでしょうよ。
だから、誰に何と言われようとも、浮かれずにはいられない!

峠道を走る途中、道の両側にバナナ園やサトウキビ畑を見つけた。
これだって、日本の日常生活じゃ見ることも少ないはず。
今さらながら「おお、外国を走ってるぜ。オレ」と実感。
東北の田舎者は、こんな小さなことにも感激するのです(笑)。

北へ北へと向かう途中、バイロン・ベイに立ち寄る。
バイロン・ベイは浜辺と岬が美しい街だ。観光地化されているので、結構賑わっている。感覚的には北海道の襟裳岬?
 
快晴じゃなかったのが残念だが、テキトーに写真を撮ってみる。
ここまで来れば、クィーンズランド州は目と鼻の先。はやる気持ちを抑えきれず、ついついアクセルを開けてしまう。
州境が近づいてくるにつれ「QLD(クイーンズランド州)」ナンバーの車が目立ち始める。

そして太陽が西に傾き、夕焼けが空を覆う頃…ついにQLDに突入。
仕事を終えて家路につこうとする車たちでごった返す道路の真ん中で、思わずガッツポーズ。
周りのドライバーたちがこっちを見て笑っている。
たくさんの荷物を積んだ他州ナンバーのバイクに乗ったライダーが喜んでいるわけだから、だいたい分かっちゃうんだろう。
でも、自力で越境した喜びは大きかったのだ。

QLD州最初の街はゴールドコースト…サーファーズパラダイス。
もう、日本人にはゲップが出るほどお馴染みの街だ。波乗り大好き人間の天国なら、日本人観光客にも天国。どこを見まわしても免税店ばっかしだもん。

日本語の看板もいっぱいあって、ある意味異様な雰囲気だ。
どんなものかと街を見たかったが、まずは観光案内所で安宿を教えてもらう。

YHA(ユースホステル)は街からだいぶ離れたところにあったため、街に近いバックパッカー用の宿をチョイス。
歩いて浜辺まで行ける絶好のロケーションだ。

ここで、旅に出て以来、初めて日本人の宿泊客と出会う。
彼らもまたワーキングホリデー。

頭にタオルを巻いているのは、広島県出身のサーファー。
目的はいたってシンプル。
「サーフィンをやりにきた」
英語は全くしゃべれず、機内食も「No No」と言い続けて腹ペコのまま降りてきたらしい。英語が出来ないことを隠したり、たいして離せないクセに見栄をはる日本人も多い。
彼のように「英語?無理」とキッパリ言えるヤツの方が、現地の人間と仲良くなったり、後々になってペラペラになったりするのだから面白いものである。

それと高校の同級生の友達(ややこしい)と会う約束もしていたので、少し長めに逗留することに。
せっかく来たので、ビーチを歩いたり、DFSを冷やかして回ったり。
釣った魚を持ち帰ってきたイギリス人が「日本人だろー料理してくれよーでも、オレたち生の魚は食えないよー」とか言うので、三枚におろして牛乳で臭みを取ってやり、ソテーにしてやったらバカウケだったり。

そして、今日はこんなことをしてみた。

男子なら憧れの(?)実弾射撃。
はじめから44口径を撃てるわけではなく、オートマティックライフルを練習してから。
50発ほど撃ってみたけど、これが面白いように命中する。
ターゲットは動物のシルエットだったのだが、輪郭に沿って撃ち抜くなど自由自在。
ひょっとして才能あるんじゃないの?と挑んだ44口径。

メチャクチャ才能がありません(笑)。
多分、初弾は大きく外れてるんだと思うけど、二発目以降の修正がなっとらんわけです。
自分のペース、自分のタイミングで撃ってコレですから、何も語れない。
調子こいてました、スンマセン!!
実弾、しかも44口径を撃った経験なんてあまりないから「どうだった?」と聞かれるんだけど、反動がどうのこうのよりも、目が疲れた。
きっと一発ごとにものすごい集中してるんだろうね。
こっちは客なのにインストラクターも熱が入り始めて、ポジションが悪いとか、最後は「利き目はそっちじゃない!」とか指導が入ったり(笑)。
撃ってみて分かったけど、こういうの、普通の人間が持っちゃいけないね。
マジで。

ところで、この街には日本人観光客も多いが、留学生もずいぶんと多い。
そいつらが結構とんでもねえヤツらばっかりで、親の金で来てるくせに、夜の街をウロチョロしている。
そういうオレも夜の街でウロウロしてたんですけどね(笑)。
いや、オトナだからいいんです。
クラブを覗いてたら、 どぎついメイク、派手なカッコの女の子がビール片手のくわえタバコで「ねえねえ、お兄さんさあ、ワーホリィ?」と妙になれなれしい口調で声を掛けてくる。
 
聞けば17才だという。
すげえ。
世界に羽ばたくコギャルだ。
そういや、シドニーに住んでいた頃も、日本の女子高生が修学旅行に来てたもんなあ。

人をなめきった態度に「ああ?どの口で言ってんだ、コラ」と言いそうになる。
が、ここは大人のオトコ、ぐっとこらえる。当社比30%増しの優しい顔で「ハイハイ、そうですよ」と話相手になってやる。
一通り、とりとめのない話をした後は、人混みに耐えられなくなって表に出た。
マシンのシートをベンチ代りにタバコに火をつける。
ボンヤリと歩道を眺めていると、沢山の日本人が騒ぎながら通り過ぎていく。
「何だよ、留学生ってこんなものかい」とガッカリ。
オレからすると、留学生って『志を持って異国で勉強する、マジメなヤツ』ってイメージがあったのよ。

ところが実情は、日本でドロップアウトしたヤツが高校の代わりに来ているだけ。
おそらく世間体を気にした親たちが『日本でダブって、この先の人生に苦労するなら、いっそ留学させた方がいい』ってな感じだろう。
そんなんでゴマかしてどうすんのよ?
いろいろ寄り道したって、最後に花を咲かせる人はたくさんいるのに…って思うけど、親御さんたちは必死なんだろうね。

来たくても来れないヤツがいっぱいいるんだから、遊んでばっかいるなよな。
勉強しろ、勉強。
といいつつ、17才の頃なんてオレも散々遊びまくってたから、大きなコトは言えないか。

あ、留学生の名誉のためにも言っておくけど、そりゃあマジメに頑張ってるヤツだってたくさんいる。
片時も教科書を離さず、一生懸命勉強する…日本の若者もまだまだ捨てたもんじゃございません。
オレもなるべくなら、そっち側に入りたいんだけど…どうだろうね(笑)。

【移動距離】
Coffs harbour – Surfers Paradise 321km

■1997年 5月26日~5月29日  Brisbane 日本人ですか…?  

次の目標はブリスベン。距離は80kmそこそこなので苦労はしなかった。
オーストラリアの100km、200kmなんてホント「ちょっとそこまで…」な感覚。
だって、都市部を抜けたら信号なんて皆無だし、交通量も少ないんだもん。

ただ、ユース探しに思いのほか手間取る。
「この角を曲がってすぐ」と思っても、立体交差や一方通行に阻まれてなかなか辿りつけなかったのだ。
日本の大都市に住んでいれば、そんなことも当たり前なんだろうけど。

東北地方に立体交差は一体どれほどある?
ウチの近所…多分ない(笑)。
いくつか知ってるけど、そんなに複雑じゃないから、他の土地から来た人でも関係なし。
そんなド田舎から来たオレですもの、立体交差なんて「はあ?どうやって行ったらいいの?」の連続。
 
おまけに暑い。ただ、湿度はないので爽やかな暑さだ。
ブリスベンはQLD州の州都だけあって、ユースもでかくてキレイ。
日本人もたくさんいて、部屋にも同い年のヤツがいた。
その昔バイトしてた会社に彼とそっくりな男がいたので、そいつと同じ『大将』という名で呼ばせてもらう。

大将はものすごく寡黙な男で、こう言っちゃ何だが太陽がサンサンと降り注ぐオーストラリアには、おおよそ不釣り合いだった。
「もしかして、コイツ南国の人里離れたところで命を絶とうとしているんじゃないだろか?」と思うほど、暗い感じだった。

ところが、後で分かることだが大将は無類の酒好きで、オレの父親が「何かあったら、コレを飲め!」と無理矢理持たせてよこした我が家伝統の「マムシ酒」をストレートで飲んでは「美味いねえ、これは美味い」とおかわりを連発。
ついには、スキットルに入った酒を最後の一滴まで飲み干してしまった(笑)。

大将が本音で喋り出したのはそこからで、クラシックの造詣が深いピアニストだという。
「うちの母親もピアノやってるけどさ、同じ曲を弾くんだから、誰が弾いても同じなんじゃないの?」
とか言ったら、半ば激怒しながら「な、何を言ってるんだ、君は!旋律ひとつとっても、どういう風に弾くか、解釈は何千通りもあるし、ひとつとして同じじゃないんだぞ!!」と声を荒げた。

この会話がきっかけで、オレと大将の距離は、グっと縮まった…と思う(笑)。
念のため言うが、オレだってこう見えてソナタまで弾いてたし、中学校では吹奏楽部で部長まで務めた男だ。

そして、塩釜が生んだスーパーバンド、楽団四季のリーダーだ(笑)。
誰が弾いても同じ、なんてこれっぽっちも思ってません。
知っててこんなことを言ってるんだから、オレも性格悪いよね(笑)。
そんなこんなで、ブリスベンは大将がいてくれたおかげで、退屈しなかったのだ。

大将とブラブラしていたら、ユースの従業員が「I was looking for you(探したよ)」とか言って駆け寄ってくる。
長髪で無精ひげ、ヘラヘラした態度は遊び人そのもの。
って、オレもそうだけどさ。

「そんな知り合いなんていたっけ?」と思ってたら、どうやら彼はバイクを買おうとしているのだが、自分ではよく分からないので、一緒についてきてほしいとのこと。
困った時はお互い様。もちろん、軽くOKだ。

バイクは昔のVT250。程度は中の下といったところか。
カムチェーンがガラガラいってるようだし、アクセルのつきもイマイチ。
排気煙も若干オイル臭い。プラグまでは見なかったけど、価格と程度のバランスが良くない。
 
そのようなことを耳打ちしてやる。
「で、君なら買うかい?」と聞かれたので、
「半額なら買ってもいい」てな具合で答えてやる。

結局、従業員はVTを買わなかった。
売りたがっていた方はオレを見てちょっとヤな顔してたけど、まーしゃーないやね。
本当に正当な値段で売れるものなら、文句を言うのが欧米人。
すごすご引き下がったところをみると、ふっかけてた自覚があるんだろう。
従業員は「イヤー助かった」と大いに喜び、彼から晩飯とビールをご馳走になる。
 
次の日、ブリスベンの街を探検。
大将と植物園や美術館、博物館なんかを回ってみる。
でも、あんまり大きな感動はなかったかも。

やっぱ、バイクで旅していると、都会の街並みより木とか川とか海に惹かれるようだ。
だって都会はどこも一緒だもん(注:田舎者のクセにという突っ込みはナシでお願いします)。
カワイイ女の子とブラブラするならいいけど、相手が大将だからね(笑)。
何だかどうでもいい与太話をしながら歩いたけど、楽器屋に行った時は、ふたりとも夢中になってたね。
大将がピアノを弾いたら、周りの客がビックリしてこっち見てたんだけど、最後は本気になって弾き始めて店員に止められたという(笑)。
やっぱり大将は根っからのピアニストなんだな。

ここでの収穫は面白いカワサキショップの発見。
グリスアップかオイル交換をしようと思ってフラっと店に入ってみたんだけど、メカニックのおっさんがどうにも日本人に見える。
でも、中国人とか韓国人かもしれないってんで、お互いしばらく英語でしゃべってたんだよね。

そしたら、マネージャーがやってきて「二人とも何で英語で喋ってるんだ?お互い日本人なんだから、日本語で喋ればいいのに」だって(笑)。
しかも、メカだとばかり思ってたオッサンはここの店のオーナー!
カワケ・カズオさんという。
「オレもこの人、日本人だろうか、それともアジアの血が入った現地の人だろうかって考えてたんだけどさあ」
と、カワケさんも照れ笑い。しかし、何でまたオーナー自ら現場に入っているんだろうか。
「こっちの人間は、日本人に対して偏見もあるからね。仕事が出来るところを見せておかないと、言うことを聞かないんだよ」
なるほどね。口で言うよりも、その方が伝わるんだろうね。
カワケさんの御好意で、工賃・部品代を負けてもらい、さらにブレーキディスクが歪んでいるので交換を勧められる。
「新品は高いから、解体屋に電話してやるから」
と、あちこちの解体屋にパーツの有無を当ってくれた。ありがたい。

ところで、この頃からエンジンのコンプレッションが若干低下していることに気づく。
ピストンリングとシリンダーのクリアランスが広がっているのだろうか。
カワケさんは「回し過ぎないように走れば大丈夫」と言ってくれたが…
金額的にも致命的なダメージともいえるので、絶対に壊れないで欲しい。
がんばってくれよ、Z1R!

カワケさんがいるKAWASAKI WORLD MOOROOKAは、1001 Ipswich Rd。
場所はブリスベン南部のMOOROOKA。
でっかいカワサキの看板があるので、すぐに分かる。
 
※その後、Google mapおよびストリートビューで検索してみたが、現在その場所に店はない。移転したのか閉店したのかは不明。20年という年月はあまりにも長かった。

それと、この街にはイトコの友達が住んでいて、図々しくもお宅訪問。
おにぎりを振舞ってもらいながら、イトコの悪行偉大さを存分に語ってもらう。
娘さんのマリエちゃんは当時1歳だったけど、大学生くらいのお年頃。
カワイイ子だったから、きっと美しい娘さんに育っていることでしょう。

それにしても、ホント美味かったなあ。
何よりのご馳走でした。
ありがとうございました。

そして、大将、アンタはいまどうしてる?
相変わらず、難しい顔をしてピアノのうんちくを語っているんだろうか?
それとも誰かと結婚して、子供たちにピアノを習わせているのかい?
いつか、また会えるといいね。


【整備記録】
クラッチワイヤー交換
リアブレーキディスク交換

【走行距離】
Surfers Paradise – Brisbane 80km

■1997年5月30日~5月31日  Rockhampton シラノ・ド・ベルジュラック

この日はオレもマシンも努力賞。
景色を見ることも忘れて走りまくった。
というよりも、あれだけ憧れていた弾丸道路にも食傷気味。
暖かくなってきたせいか、ヘルメットやカウルに虫の死骸が付着する。
 
旅を始めて約2週間。たかだか1000kmくらいしか走っていないのに、今日は一日で600km以上を走破。
トコトコ走っては写真をパチリ…というペースで走るつもりが、ついついアクセルを開けてしまった。おかげで、後半はクタクタ。

おまけに夕方になってアクシデント発生。
今夜の宿を探して、夕闇迫る道を走っていたらエンジンがガクガクとむせ始めた。
燃料がない?
おかしいな…地図を見ながら計算していたんだがな…絶対間に合うハズだったのに。
15リットルで260kmしか走らない?
頭の中で何度か繰り返した計算を思い出すと…

なんてことはない。
地図の読み間違いである(笑)。

「てことは、まだまだ先かよ!」
慌てて燃料コックをリザーブに入れるが、ついにエンスト。
 
血の気が引いていく音が聞こえるとは、まさにこのこと。
こんなところでガス欠になったら、一体誰が助けてくれる?
皮肉にも目の前には「次のガソリンスタンドは15km先です」の看板が…

ウソだろー。
頼むからかかってくれよ!

何度かセルを回したら、ヴォン!とエンジンが目を覚ました。
何のことはない、キャブにガソリンが流れ込むのに時間がかかっただけである。
すっかり腰の引けたオレは、出来る限りアクセルを絞って走り、ユースを目指した。

ユースに到着したのは日が落ちてから。
ヘトヘトになりながら、メシを作り、うつむきながら喉に流し込み、片付けもそこそこに、倒れるように眠りについた。

昨晩、覚悟していたことだったが、次の朝になっても疲れが取れない。
風邪を引いたように全身がだるくて、動けない。
無理がたたっているのだ。

やたらめったら距離を伸ばしても、こうして1日を無駄に過ごすくらいなら、元気に300kmずつ走った方がマシだった。
早々に受付で延長手続きをして、10時頃シャワーを浴びて、洗濯などを済ませる。
 
つまんないことやってるな、と思われそうだけど、長旅になると、洗濯だけではなく日用品の買い物…すなわち家事全般が重要なミッションとなる。
ちなみに、オレはシティ・ボーイだったので替えのパンツとTシャツは5日分は持って歩いた。
洗濯物が乾くまでオイル交換へ。
50ドルのカストロールGP50とやらを選んでみる。

そういや、ガソリンは、旧車なので有鉛を入れていた。
初めてスタンドに入った時、Unleaded とLeadedって書いててビックリした記憶がある。今は売ってないみたいだけど。
 
オイル交換が終わった後は、部屋でゴロゴロ。
ボンヤリとしていたら、一緒の部屋になったアメリカはカリフォルニアからやってきたオッさんと仲良くなる。
アメリカでは学校の用務員をやってて、小学生だか中学生の娘がいるのに豪州くんだりまで独り旅(笑)。
このオヤジ、ユースホステルで一緒になった女の人に惚れちゃったらしく、どうしたらいいものか、とこのオレに相談してくる。

何でも、前の宿でもその前の宿でも一緒だったんだそうだ。
オヤジは「こいつは運命だ!そう思わないか?」と小躍りしている。
どーしてそうなるかね…アンタは女子高生かよ。

ほとんどの観光客は、沿岸部を北上するか南下するかのどちらか。
方向が一緒なら、あちこちで出会うのは、珍しいことではない。
ちょいと考えれば分かりそうなものなのだが、昔から恋は盲目って言うしね。

種明かしするのも無粋なのでオヤジの肩を叩くと
「おう、そいつは間違いなく運命だ。とにかく、積極的にアプローチするんだ。日本語にゃ当たって砕けろって言葉がある。サムライ魂だよ」
と適当なことを言ってやる。

それと洋楽の歌詞を織り込ませ「甘い言葉も必要だ」とレクチャーする。
そうやってシラノ・ド・ベルジュラックばりのラブレターを完成させる。
オヤジは大感激してたが、何本もスーツケースに入れていた虎の子のカリフォルニアワインは一滴もくれなかった。
異国の果てまで来て何やってんだろうね、オレ。

ふたりともいい感じで酔っ払った時、オヤジが日本について教えろ、と言い出した。
90年代の日本はバブルが崩壊して間もない頃で、それまで信じていた価値観が崩壊し、努力すれば報われるわけでもない、という風潮が生まれ始めた時期でもあった。オレはというと、ベビーブームも重なり、受験や就職に苦労した口だったので、ちょっとつつけば「ダメだよ、この国は」なんてネガティブな言葉が次から次へと出てくるわけで。
「日本ね…もうダメだね、あの国は」と、つい愚痴っぽくもなる。
そしたら、オヤジは真剣な顔でこう言った。

「確かにお前の言う通りかもしれない。お前が国のことを批判する気持ちも分かる。だが、お前の生まれた国であり、お前の育った故郷だろう。お前だけは、日本はダメ、故郷がダメだなんて言ってはいけない」
そう言うと、オヤジは酔っ払ってひっくり返ってしまった。
なるほどね、いいこと言うね。
ダメだ、ダメだというくらいなら、好きになれるように自分で何とかすればいいんだし。
彼の言葉は、今もオレの心に深く突き刺さっている。

【整備記録】
オイル交換

【移動距離】
Brisbane – Rockhamton 635km

■1997月 6月 1日  Mackay 何でこんなに寒いのさ?

今日もさらに北上。ケアンズを目指す。
ちょっと内陸部に入ると暖かかった気温が、グンと下がる。
南半球は、もうすぐ冬なのだ。
太陽はさんさんと降り注いでいるというのに、体感温度はやたらと低く感じる。

身体が強張り、肩と背中を無数の針で刺されたうえに、氷水をぶっ掛けられたようなしんどさだ。
休憩中、バックミラーに顔を映してみたら、唇も紫色になっている。
景気づけに歌いながら走ってみたけど、途中で歌詞を間違えたり、思い出せなくなっている自分が嫌になって終了(笑)。
 
そして、今さらだが、全天候を想定したロングツーリングに革ジャンは不向き。
しかも、ダブルのライダースは首元からスースー風が入ってくるし(笑)。
フリースとかナイロンなんかの方が断然よろしい。ようするに登山に行くようなカッコが機能的。そういう意味では、オフロードバイクのライダーたちの多くが、機能的な服装だった。

でも、当時のオレはブーツカットのデニムと黒いレザー、これこそがバイク乗り!といきがっていたので、どんなに寒くても、そして暑くてもそんなカッコでバイクに跨っていた。帰国してからは、半そで半ズボン、便所サンダルで近所を走ってたけど(笑)。

途中のガソリンスタンド(オーストラリアではぺトロールステーションというが、オレにとっちゃガススタだ)で出会ったハーレー軍団のオヤジも「今日は寒いな」とぼやいていた。

寒い割には羽虫の数が増えてきて、ヘルメットのシールドがあっという間に虫だらけになる。こいつがまた気持ち悪ィというか、とるのが大変だ。
レーサーなんかのティアオフレンズだっけ?ビリっと引っぺがすヤツが欲しいところだ。

「早くケアンズに着かねェかなァ」と気持ちだけが北上。
でも無理はいかん…てのは、先日経験した通り。
少しずつでもいいから、着実に走った方がいい。
距離を伸ばすのは、身体が慣れてきてからでも遅くはない。

この日は320kmほど走り、マッカイという街に到着。
地図を見る限りでは大きい街らしいが、ここも特に見るべきところはなし。
海も干潟みたいな感じ。
思い描いていたオーシャンブルーは、まだまだ遠い先のようだ。
結局この日は、その辺をブラブラしておしまい。

【移動距離】
Rockhamton – Mackay 336km

■1997年 6月 2日~6月 3日 Townsville 極彩模様の刺身とアラ汁

朝も早よから荷造りを終わらせて、飯もそこそこにエンジンをかける。
北へ向かうにつれ、ほんの少しずつだけど気温が上がってゆくのが分かる。
キビキビと走っているうち、午前中に300kmを走破。

辿り着いた先はTownsville(タウンズビル)。
この街をさらに北に行けばケアンズ、西に折れればアウトバックと呼ばれるノーザンテリトリーが待ち構えている。
いわゆる分岐点である。
いつの間にか、ブリスベンから1300kmも走ってきた。

バスのターミナルも大きい。
人もごった返している。それと、スキューバをやる連中にもいいところらしい。
オレはよく分からんが、グレートバリアリーフへの玄関口でもあるようだ。
ちなみに、ここの水族館リーフHQは、デカいサンゴ礁を楽しめる。

こんなところにも日本人旅行者がいたので、彼らと一緒に釣りへ行く。
釣りのポイントはカジノの近くにあるテトラポッド。

オレにとって、豪州での釣りは初体験。何で釣るのかと思えば、手巻きのリールと道糸に直接結んだ針。こいつを忍者の鎖鎌の要領でぶん投げる。

仕掛け(と呼べるほどすごいもんじゃない)が底に着くと、すぐにアタリがある。
この辺のサカナたちは、スレてないようだ。
でもこんな仕掛けなので合わせがやたら難しい。エサは冷凍のエビを使うのだが、すぐに針から外れてしまう。

しかし、オレも海っぺりで育った海の男だ。
その昔、海水浴でおぼれかけ、泳ぎの達者な女の子に助けてもらった情けない過去を持っていても、海の男だ。
こんなこっちゃイカン!と気を取り直して再度トライ。
合わせを遅らせてやったら、今度はヒット。
しかもえらく引いてるじゃないの!グイグイ引き寄せてやったら、30cmはあろうかというアイナメ(のような魚)が釣れた。

「やった、刺身だ!」と一同大喜び。しかし、その後は鳴かず飛ばず。
3人で15匹くらい揚げたが、あまりいいサイズのものは釣れなくて、大半はリリース。
それでも、大物が入っているので、帰り道、スーパーで刺身用の醤油やらネギなどを購入。
「こんな小さな街でも、キッコーマンの醤油が売ってるんだなあ」と一同感心。

宿に戻って調理してたら、ユースホステルで働いているお姉ちゃんがやってきて
「あんたたちにあげるわ。だって食べ方知らないんだもん」とキッチンの冷凍庫から、青と赤の極彩水玉模様の巨大な魚を引っ張り出してきた。
サイケなヤツもぶった切ってアラ汁にしてやり、宿泊客たちに振舞った。
ゴールドコーストでもそうだったが、オレの魚料理は思いのほか好評。
日本人はともかく、みんなが美味そうに食べている姿を見るのも、いいものだ。

ところで、ここタウンズビルのユースには、ちょっとオカルトな噂が…
詳しいことはおっかないのでよく聞かなかったけど…
ええ、そうです。オレはオバケやユーレイといった話は、大の苦手なのだ。

【移動距離】
Mackay – Townsville 387km

■1997年 6月 4日~6月10日  Cairns 初体験・海中散歩

午前中にタウンズビルを出発。
朝の天気は良かったのだが、時々、強い雨にやられる。
降ってきたらとりあえず雨宿りして、晴れたら走るの繰り返し。
 
タバコを吹かしながら、ボンヤリ眺める雨は、それほど悪いものじゃない。
今日まで駆け足で、時には景色を見るものもそっちのけで走ってきたが、そんな走りじゃ楽しめないのかも。
少しずつ、この国の走り方が分かってきた気がした。

そいでようやくケアンズに到着したと思ったら、これがどえらい暑さ。
革ジャンもプロテクターも邪魔でしょうがない。ユースホステルで受付を済ませた頃には、猛暑でヘトヘトになっていた。

重たい荷物を部屋に放り込んで呆然としていると、オフ車に乗ったライダーが到着した。
青いウェア、青いヘルメットとまばゆいくらい全身青に包んだライダーだ。

彼のマシン、スズキのジェベルにはでっかいハコが搭載されており、ベタベタとステッカーを貼っている。
同じ部屋になったようなので、どちらかともなく声を掛ける。

彼の名前は山田浩人さん。
「あの人だ」とピンときた人は、おそらく豪州で彼に出会った人か、もしくはよっぽどのオフ車フリークだ。
ていうのは、山田さんはバイク雑誌『GARRRR(ガルル・2019年に休刊)』の元編集者で、現在はフリーとなって世界一周旅行に挑戦中である。
オレもミスターバイクにツーレポを書いてるってのと、昔(今もだ)筆で金を稼いでいたので意気投合。
あれこれ話に花が咲く。

こんなスゴいハコがあるんだ!と感心していたら、実は郵便カブに使われているものと同製品。
赤く塗装されていないだけ。そして山田さんのナンバーは国際ナンバープレート。ハコの脇に「J(日本)」のステッカーが。

同じ部屋に宿泊していた自称「ギャンブラー(世界中のカジノに行ってるらしいので、こういう仇名になった)」から、バイクで旅をするなら『シクスティーズ』に行ってみろと勧められる。何のことやら分からなかったが、オレと山田さんはマシンに跨り、教えられた場所へ取材(?)に行く。

住所が60 Water St.なので、シクスティーズと呼ばれているらしい。
バラック小屋(失礼!)のような家に日本人ライダーがたまっていて、何というか難民キャンプのような所だった(本当に失礼)。
今なお、検索すると沢山の情報や写真が出てくるから、オーストラリアを走る日本人ライダーにとっては有名な場所なのだろう。

バイク乗りだけじゃなくて、現地で普通にバイトしてるヤツなんかもいて、楽しそうに暮らしている。マンガ本もいっぱいあったしね。
部屋はあんまりない割に、住人(?)は結構多い。
聞けば家賃を「廊下が何ドル」とか「このリビングのこの辺が何ドル」とかで支払っているという。
ものすごい暮らし振りだ。今も変わってないのかな?

60’sに集まるライダーが増えるのは七夕の時期だという。
ここをベースにして、ケープヨークまでの七夕ツアーってのをやるらしい。
ワイワイ楽しくやるなら、立ち寄ってみる価値あり。

集まる連中も人は悪くない…と思う。
やってることは公には言えませんけど(笑)。
オレのレベルでは、微笑ましい程度だと思うんだが…
多くのライダーが訪れているだけに、情報収集も出来るだろう。
いつまで存続するかは不明なので、まずはあるかどうかを確かめよう。


街に来ると必ず探すのが、バイク屋。
ケアンズでめぼしいのはカワサキショップと解体屋。
カワサキのショップでタイヤとチェーン、スプロケを交換したかったが在庫がないのでオイルとタイヤ交換のみ。チェーンとスプロケは後日。
解体屋では工賃が安かったので、タペット調整をしてもらう。

それと、いまひとつ荷物が積みにくかったのでサドルバッグを購入。
サドルバッグというのは、バイクの後ろ、シートの後ろ半分につけるカバンのようなもので、荷物を左右に振り分けることが出来るため「振り分けバッグ」の愛称でも知られている。こいつのおかげで重心が低くなり、少しはフラつきも抑えられるだろう。
 また、左右に張り出しているので転倒時にはバンパーの役目も果たす…かもしれない。

ケアンズでは骨休みも兼ねて、少し滞在。
バイクでは行けないツアーにも参加したかったからだ。
ケアンズのYHAで出会った良子ちゃんに街を案内してもらう。

山田さんは一度ケアンズを離れて山篭り。
ご覧のように地図まで用意してやる気マンマンだったんだけど、体調が悪かったらしく、一泊するかしないかで帰還。
その間、マーケットをぶらついたオレは、タイガーズアイという石を購入。何やら効能があるらしいのだが、見た目が気に入っただけなので問題なし。
ケアンズって、もう少し天気が良くて暑いイメージだったのだが、今のところ、カンカン照りになることはない。

だが、次の日になると天候が回復。
ようやく南国気分あふれる陽気となった。
山田さんが体調を取り戻すまで、バイクの整備をしたり、60’sの連中とぶらついたり。
また、キレイな景色が見たくてキュランダへ。
キュランダとケアンズの関係は、日本でいうところの六甲山と神戸みたいなもの、と言えば分かりやすいと思う。

山の中にはお土産物屋が建ち並び、観光客でいっぱいだ。
こういう時、バイクがあると便利なもので、峠道をスイスイ。
でも、時間があるなら、高原列車の方がゆっくり景色を楽しめるかもしれない。

病み上がりの山田さん「明日は大丈夫」ってんで、ラフティングツアーに申し込む。
ユースホステルには、アクティビティのパンフレットが沢山置いてあるのだが、英語堪能な人間じゃないと申し込めないツアーもあった。
ラフティングにもレベルがあり、ホントに危険なツアーだとガイドの声が聞き取れずに大事故につながる恐れがあるのだそうだ。
本当に行きたかったツアーは諦めたが、ガイドブックに掲載されている大人数のゴムボートに乗って…というのはつまらないだろうから、二人乗りのボートで急流を下るツアーに申し込んでみた。
ラフティングの少人数バージョンと思ってくれればいい。

オレと山田さん的には、二人でゴムボートに乗って「ファイトー!いっぱあつ!!」とやりたかったのだが、ガイドが「何か日本人の女の子たちが沢山来たから、そっちと組んでよ。男子だけだとバランスが悪いし」とペアの相手はガイドが選定。

早朝にも関わらず、お化粧バッチリのお姉さんたちとペアを組むことに。
普通の貧乏旅行者とは明らかに雰囲気が違うので、失礼ながらお尋ねしてみた。
そしたら、何と某航空会社の客室乗務員さんたちだった!

「ス、スッチーさんですか…(90年代、CAはスチュワーデスと呼ばれ、略称はスッチーだった)」
「はい、よろしくお願いします」
という笑顔も素晴らしい。ホントは写真を撮りたかったんだけど、防水カメラじゃないし、防水だとしてもそんな暇もなく…

このスッチーさんたち、空の上では知らないが船の上では役立たず。
パドリングはほとんどオレがやらされた…まあ美人だから許すけど(笑)。
だってずーっと独りで旅してたんだもの。
そーいう『ちょっといいこと』があってもいいじゃない!?

急流下りも楽しかったが、ゆるやかな流れを進むのも良かった。
熱帯雨林の鬱蒼とした森の中を流れる川を進んでいると、何だかまるでドキュメント番組のリポーター気分だ。
 
仕事のついでにこういう場所に来れるスチュワーデスさんたちが、実にうらやましい。
こちとら、次に外国に行けるのは、いつになるか分からないんだから。

次の日は、良子ちゃんに誘われ、グレートバリアリーフを観るツアーに出かける。
天気が思わしくなく、いやな予感が胸をよぎる。
不安は見事的中。

沖に行くにつれて波は激しくなり「ああ、ボクちゃん酔いそう」と弱気になったが最後、別の波が胃袋から押し寄せてきた。
便所に駆け込み、リバース。
用心して朝飯を抜いていたが、リバース。
ドンブラコっとひと波くるごとに、リバース。

もーホントきつかった。
そんな中でダイビングにチャレンジするんだから(笑)。
つーより、早くどっかに下ろしてくれ!と叫んでたんだけど。

念願かなって、やっとダイビング開始。
まずは、小さな島の近くに船を停めて、砂浜からエントリー。

良子ちゃんは、ライセンスを持っているだけあって手際がよい。
が、オレはというと、気持ち悪いせいで全然ダメ。

やっとこさ準備が整い、海に潜る。
頭を水につけても、呼吸が出来るなんてヘンな感じだ。
 
最初の予定ではインストラクターが手を引いてくれるってんで「だいじょぶじゃん」とか言ってけど、は女性のアシストだけやって、オレは放置される。
でも、コツを覚えると、なかなか楽しい。
何度もグルグル回ってみたり、深度を変えてみたりと、素潜りでは味わえない感覚に船酔いも少しマシになる。
30分くらい泳ぎ、船に戻る。

「いやー船酔いはキツかったけど、楽しかったよー」
「だろー?次はもっと楽しいぜ」
「…ハイ?」

てっきり帰れると思ったのに、船はさらに沖へと向かう(涙)。
2本目は、船からエントリー。
「見て見てシンジ、ジャイアント・ストローク・エントリー!(当時流行ってたなあ)」とは言わなかったけど、両脚を大きくストライドして突入。

今度の海は、深く、そして暗い。
耳抜きをしながら、ゆっくりと深度を下げてゆく。
海の感覚に目が慣れていくと、そこには無限とも思える青い世界が拡がっていた。
色鮮やかな魚を星に例えると、幾重もの「青」を織り成す海は、宇宙だ。

今日までダイビングがナンボのもんとか思ってたけど、ハマる気持ちも分かる。
新しい世界を見せてくれたリョーコちゃんには、感謝。

ちなみに、内緒なのだが、コントロールを失った時にサンゴに膝が直撃。バッカーンとサンゴが真っ二つになってしまった。
これはとても悪いことである。サンゴで傷つくと『呪い』もとい『毒』のせいで痒くなる。気をつけよう。

ダイビングは本当に楽しかったのだが、地獄だったのが再びオレを襲った船酔い。
帰りは「早く岸に戻してぇ」とキャビンでのた打ち回っていた。そしたらあまりにも不憫と思ったのだろう、ツアー会社のアニキが半額にしてくれた。
優しいな、オーストラリア人(笑)。

翌日、山田さんとジャプカイ族の文化センター(現ジャプカイ アボリジニ カルチャーパーク)を見学… というより、山田さんの通訳係。
ここでは槍を投げたりブーメランを飛ばしたり、アボリジニの生活を垣間見ることが出来る。スタッフは純粋のアボリジニではなく、白人とのハーフが多いという話だったが…

ユースに戻ってから、映画(ロストワールド)観たり、酒を飲んだりとすっかり遊び呆けてしまった。
ここのユースでは面白いヤツが大勢いて、シルバーの塗装がいぶし銀になった車で旅する大阪出身の『和尚』、イギリスから来た元レース関係者、BMW党の『ビーエムおやじ』、その他もろもろ。
特に、このビーエムオヤジがおかしくて、ライダーだけではなく、言葉を交わす全ての人にBMWの良さをアピールしている。
これが「オレのバイクってすごいだろ」とか言い出したら、カチンと来るんだけど、BMW愛が詰まっているので嫌味に感じない。
ディーラーの人かと思っちゃったくらいだ。

【整備記録】
タイヤ交換 オイル・オイルエレメント交換 ヘッドガスケット交換 タペット調整
フロント&リア スプロケット交換 ドライブチェーン交換

【移動距離】
Townsville – Cairns 347km

NSW QLD Part1 QLD Part 2 NT WA Part1 Finland  France Italy
Canada&USA WA Part 2 SA VIC  ACT  Appendix Appendix2015

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