Northern Territory

オーストラリアバイク一周

■1997年 6月 17日  Tennant Creek 北は天国、南は地獄  

内陸そして南へ向うにつれ、一艘寒さは厳しくなる。
南半球では、南下=赤道から離れるわけだから、当然なのだろう。
表面的な寒さというより、身体の芯が冷えるような冷たさに心が折れそうになる。

昨夜のキャンプ場、バークレイ・ホームステッドでは、シャワーを浴びてもすぐに寝袋に入らないと湯冷めしそうなほど冷えこんだ。
こういう時、髪が長いとなかなか乾かない。
オネエサマのように大きめのタオルをグルグル頭に巻いて寝袋にくるまった。

さっさと寝ればいいものを、この時は相当なヘビースモーカーだったので、ガタガタ震えながらもタバコを吸っていた。もちろん、身体にも懐にも悪いのだが「酒は飲まんからね」と屁理屈をこねて禁煙することはなかった。
 
日中でも、走行時は夜以上に冷え込みがキツく、革ジャンの下にL2-Bフライトジャケットを重ねても、しんどい。
太ももは感覚を失い、指先をエンジンに当てて暖をとる。
このあたりでこんなに冷えるなら、ナラボー平原(パース~アデレード間にある何にもない平原。南側は南極に面した海)を走ったらどうなるんだろうか?
 
この日は200kmほど走り、ユースホステルに直行。
今日の宿はTennant Creek(テナントクリーク)。
大昔はゴールドラッシュで活気に満ち溢れたというが、今はヒッソリとしたものだ。

ここもまたルート分岐点で、北へ行けばダーウィン、南へ下ればアリス・スプリングス。
多くの旅人が往来したり羽を休めるのだろうが、地元の人々はオレたち旅行者には無関心のように思える。
他の場所では、フレンドリーな人々が多かったので、余計そう感じるのだろうか。

ここは旅人たちにとって「通り過ぎる場所」で、関わり合う価値はない、という考えを持っているのか…
あるいは、単にオレの人相が悪いせいで「早くどっかに行けよ、このバイク野郎」と思われていたのか…
いずれにせよ、今までのウェルカム、な雰囲気はなかった。

この時期、北のダーウィンはちょうどいい季節。
北へ向かった山田さんは気持ちよく走っていることだろう。
オレはこれから南下。
しかも、アリス・スプリングスまでは500km。
朝9時に出発したとしても、夕方に到着するかどうか…
久しぶりの長距離、大丈夫だろか?

ところで、このテナントクリーク、何故か知らんがUFO飛来の地として有名らしい。
宿のゲストブックを読むと、UFOを目当てにわざわざここに滞在した旅行者もいるようだ。
その手の話を聞く度「出前のピザでさえなかなか来ないのに、空飛ぶ円盤なんてそうやたらお目にかかれるはずがない」とバッサリ斬り捨てるのだが、これだけ多くの目撃者が居るなら、宇宙人が乗る宇宙船かどうかは知らんけど、何かあるのかもしれないね。

【移動距離】
Barkley Homestead – Tennant Creek 211km

■1997年 6月18日~ 6月19日 Alice Springs 砂漠のオアシス

冷たく乾いた風が頬を掠める。
寒い。ホントに寒い。陳腐だが、これしか口から出てこない。
留まっても解決しないので、ダラダラとパッキング、エンジンに火を入れる。

震える身体に鞭を打ち、南北を結ぶスチュワート・ハイウェイを爆走。
都市部は別として、街同士を結ぶ一本道は地図上では「舗装道路」と記載されてはいるけど、簡易舗装のような路面。何処を見ても、ほとんどが地平線。
平坦な一本道と満載した荷物のせいで、タイヤは平らに「段減り」していく。
 
この辺りは、真っ平らな土地なので、何処を見ても地平線、という景色にぶち当たる。
が、すでに慣れっこになってしまい、正直なところ感動は少ない。
むしろ、緑の木々が生い茂るワインディングが恋しくなっているのだから、人間なんて勝手なものである。

ところで、テナント・クリークから100km南に行ったところに『デビルス・マーブル』という奇岩群がある。
直訳すれば、魔物のおはじき。

ハイウェイの両脇に、家ほどもある石というか岩がゴロゴロしている。
中には岩盤の上にデカい岩が乗っかっている。

ガイドには「何故このようなものが出来たのか不明である」とか書いてある。
オレはひねくれ者なので「密かにみんなで動かしたんじゃねえの」と勘ぐる。
でも、膨大な数の巨岩を動かす労働力があったとも思えないし。
不思議なもんである。

クライマーの視線では見たり触ったりしてないけど、当時、クライミングをやってたら絶対に取りついていたと思う。
マットがないから、無茶なムーヴは出来なかっただろうけど、とりあえず、とっかかりを見つけようとやっきになっていたはずだ。
しかし、観光名所でもあるから、もしかすると登攀禁止とか、そういうことになっているのかもしれない。 

テナント・クリークからアリス・スプリングスまでは、およそ500km。
ダーウィンとアデレードを結ぶ南北縦断道路だけあって、100kmおきくらいにガソリン・スタンドがある。
田舎のスタンドは、ドライブインやモーテル、キャンプ場も兼ねている所が多く、バッチリ休憩出来る。

だが、走り出すとやっぱり寒い。
情けないことに100kmに一回は休んだ。
日本では100kmはそこそこの長距離だが、Stuart Highwayのような真っ直ぐの一本道だと、この国では1時間足らずで走り切ってしまう。
なのに、まるで走れない。
指先、肩、太もも…あちこちがこわばって、苦しくなってしまい、もうどうにもならないのだ。

パーキングにバイクを停めると、ガタガタ震えながらドライブインに入って温かいミルクティーを注文。
身体を暖めないうちは走るまい、と思っているうちに、灰皿には何本かタバコが溜まり、その頃にはすっかりやる気を失っている(笑)。
タバコを吸えば毛細血管が収縮して血流が悪くなるので、暖めるためには逆効果なのだが、この頃は重度のニコチン中毒だったので…(笑)。

それでも、ここで休むわけにはいかない、と自分でケツを蹴り飛ばして走り続ける。オドメーターを睨みながら「10km走った」「あと5km走ったら休憩しよう」と呪詛のように呟いては、エンジンのフィンで指先を暖める姿は、我ながら苦行僧のようだった。
チョコレートをタンクバッグのポケットに挟め、チョコをかじりながら走った時もあった。

そんな風にちまちま走っていたので、アリス・スプリングスに到着したのは、夕方5時半近く。
まっすぐな一本道を朝から走って、夕方着とは相当ペースが上がらなかったといえる。

鉛のように重くなった身体、いつもより重く感じる荷物を引きずって、ユースホステルに到着するも、満室。

こういう時の「No Vacancy(空室なし)」は、メンタルをやられる。
廊下でいいから、屋根のあるところで寝させてくれ、と跪きたくなる。

テントは荷物の積み下ろしが少ないし、バイクの傍で寝られるので気持ちも落ち着くんだけど、ひどく疲れた時はやはりベッドで眠るに限る。
たとえ相部屋だとしても、疲れの取れ具合が驚くほど違うからだ。

おそるおそる、もう一軒のバックパッカーを訪ねると、空いているという。
殺風景で、映画で観るような刑務所のような部屋だったが、そんなのはお構いなし。
雨風がしのげて、おまけにわずかだが暖房が効いているだけで、天国だ。

ヨロヨロと荷物を部屋に運び、革ジャン、ブーツを脱ぎ捨てる。
カサカサに乾いた唇にタバコを押し込み、まだ冷たい指で火をつける。
吸い終えた後、食事もしないまま、この日はぶっ倒れるように眠ってしまった。

グッスリ眠ったらしく、次の日になったら疲れはすっかり取れていた。
今日も長距離移動だ、と言われても全く苦にならない。
思い起こせば、旅が始まった時は200kmも走ればクタクタになった。
今では500kmくらい当たり前。あの頃のヘタレっぷりが嘘のようだ。
バイクに乗っているだけで体力が増えたわけじゃないだろうから、身体が旅のペースに馴染んできたのだろう。

今日は街の入り口にあるカワサキショップでオイル交換。
またもカストロールGP50。
スタッフが、メッセージを書いてくれとビジターズノートを差し出される。
この店は日本人ライダーがよく利用するらしく、日本人は大歓迎らしい。
基本的に日本人観光客は礼儀正しいからね。

整備が終わると、その辺をブラブラしながら時間を潰す。
大きなショッピングセンターやレストランがあったり、緑も多いのが意外だった。
携帯電話だって通話OK。
人々の表情も心なしか、和やかだ。

そういえば、ノーザンテリトリーに入ってから、街で暮らすアボリジニたちの姿をよく見かけるようになった。
シドニーでは、ドロップアウトしてスラムに住むしかなくなったアボリジニたちばかりだったのだが、ここでは、スーパーマーケットで普通にショッピングしたり、穏やかに暮らしているように見えた。
実際のところは良く分からないので無責任なことは言えないが、いくぶんはマシなのではないだろうか。
そんな街の賑やかさに包まれていると、周囲が荒野とした砂漠であることを忘れてしまう。

夜は贅沢にもレストランで食事。
といっても、エミュー、カンガルー、ラクダ、ワニなんかを食べさせてくれる店。
どんなもんが出てくるのだろうとドキドキしながら料理を待つ。出てきたのが、見た目は豪華なセット。

ワニはパイになって、他のヤツはステーキかグリル。
一番美味しいと思ったのはラクダ。フルーティなソースが絶品。
もっとワイルドな味かと思ってただけに、いい意味で裏切られた感じ。 そんなに高くはないので、試してみる価値はある。
店の名前はOVERLANDERS STEAKHOUSE。有名な店らしいので、誰かに聞けばすぐに分かるハズ(※2019年2月、約50年続いたが閉店。2018年に再訪できたのは奇跡としか言いようがない)。

実は、この他にも食べたいモノがあったんだが、今回は食べられず。
それはイモムシ。できれば生っつーか、フレッシュなヤツ。

瓶詰めやカンヅメは街のみやげ物屋で買えるが、どうせなら生きてるヤツを料理したものがいい。
あちこちで聞いてみたのだが「そりゃあ兄さん、季節が悪い。この時期にはいないよ」とシーズンを外したみたい。
ちょっと残念(?)。


左から、カンガルー、エミュー、ワニ、ラクダ。
ラクダのステーキブルーベリーソースがけが一番美味かった。
カンガルーも、こうして食べると絶品だが、塩胡椒で食べるとバサバサでイマイチ。
シンプルな味付けでイケるのは、個人的にはエミューとワニかな。
レストランでこんな風に写真を撮ったのはコレ1枚だけ(笑)。
どれだけ食べ物に関心がなかったの、オレ。

メニューは記念にもらえる。入店日、どんな日だったのかが書いてある。

あとからアルバムの中から発見したメニュー。
急遽スキャンして掲載したけど、残念ながら、このレストランは閉業してしまう…

【整備記録】
オイル交換(40.3ドル)

【移動距離】
Tennant Creek – Arice Springs 508km

■1997年 6月20日~6月22日 Ayers Rock, Mt,Olga 氷点下のキャンプ 

起床7時。スーパーで購入したミカン(オレンジではない。日本で食べるミカンのサイズなので、ミカン)を朝ご飯にする。

さっさと荷物をまとめ、宿を出る。
寒いのでなかなかエンジンがかからない。
あまりセルを回すとバッテリーが弱ってしまいそうだ。
押し掛けにしようか迷っていたところ、何とか火が入った。
となりに停めてたCBXのオージー夫妻も苦労していたようだ。

今日の目的地はエアーズロック。
現地での呼び名はウルル。

実はこの辺に来るまで知らなかったのだが、アリス・スプリングスからエアーズロックまでは結構遠い。
アリスをベースキャンプにして、日帰りであちこち遊びに行けると思ってたんだが、大いなる間違い。
地図だけ見ると近く見えるんだけど、エアーズロックまで450kmくらい。
物理的には行けるのかも知れないけど、日帰り900kmは過酷でしょう。
ここでの予定を何となく書いてみる。

まずは、エアーズロックとマウント・オルガをセットで。
次にキングスキャニオン。
隕石が落ちたという跡地。
アリスに戻って休養。
シンプソン・ギャップ(Simpsons Gap)からグレンヘレン(Glen Helen)。
ロスリバーホームステッド。
そして、最後にアリスへ。
全ルートだと1600kmくらい。
これで一週間くらい費やすだろうか?
おおまかな予定なので、その時の状況で臨機応変、という感じになるだろう。

しかし、何であんな一枚岩が人気なんだ?
地球のヘソだから?ていうか、あれがヘソでいいのか?
ただのでっかい石じゃん。
もはや寒さも限界で、悪態ばかりが出てくる。
とか言いつつも、その姿を目にした途端、ヘルメットの奥で「おお、でけぇ」と呟く。

これがエアーズロックか…!

んーでもなんか写真で見たのと違うような…
それに、地図を見る限り、エアーズロックは100kmくらい先だし。

正解は「Mt.Connor(マウント・コナー」と呼ばれるエアーズロックとは別の岩山。エアーズロックへ向かう途中で視界に入るので見落とすことはないだろう。
観光客からは「偽エアーズロック」として有名だが、こっちだって850mの高さを誇るのだから、遜色はない(エアーズロックは865m)。
マウント・コナ―から言わせたら「向こうが偽マウント・コナ―だ」という論理も成り立つわけで…
 
とりあえず「ありがたや」と写真に収めて、先に進める。
小一時間ほど走った頃だろうか。
見えました!

パリがエッフェル塔なら。
ロンドンがビッグベンなら。
日本が富士山なら。
エストニアが東欧美少女なら(しつこい)。
 
オーストラリアはエアーズロックでしょう!!

お待たせしました。こちらが、本物のエアーズロック。
何もないとこに馬鹿でかい岩があるもんだから、とてもシュール。
現実味ゼロ。
まるで、夢の中にいるみたいだ。

走っているうちに、岩肌の細部まで見えてくる。
小さなくぼみ、割れを見つけると、ようやくそれがホンモノの岩であることに実感がわいてくる。

同時に『思ーえばー遠くへー来たーもんだあ♪』というフレーズが。
この曲出る辺り、古いんですけど(笑)。
本当によく走ったもんだよ。
シドニーを出発した頃は地図を見ながら「一体いつになったら、エアーズロックまで来るんだろう」なんて思ってたし。

近づいてみて分かったけど、さすがは豪州が世界に誇る観光名所。
ただの一枚岩と思ったら、大間違い。

食い物もお土産も雑誌も何でも手に入る。
ユースもあれば、高級ホテルもある。
その名も『エアーズロック・リゾート』だって(笑)。
街の中には学校や病院だってあるんだから、大したものだ。

貧乏ライダーのオレは、当然ユースホステルを選んだわけだが、この時期は満室。もう数日後まで予約でイッパイだった。

「えー?この寒いのにハイシーズン?」
と驚いたのだが、夏の砂漠は地獄である。
あまりの暑さにエアーズロックに登ることも制限されるらしい。
てなわけで、ほどよく涼しい冬にお客が集まるわけだ。

んで、夜。
学校で習った通り、砂漠の夜は寒い。
正確には気温差が激しい。
ここまでの道のり、どこも夜は冷え込んだからエアーズロックの夜も覚悟すべきだろう。キャンプ場にテントを設営して、ドキドキしながら夜を待つ。

とはいえ、他の土地と比べて「寒い!!」ということはなかった。
少しは気温差に慣れてきたのだろうか。
寝る時には、靴下履いて革ジャン着て非常用のアルミシートを身体に巻いたうえで寝袋に入ってと準備万端だったが…

朝方になって、ものすごい寒さで目が覚めた。
ガタガタ震えながら、テントのファスナーを上げると、バイクのシートに霜が降りていた。
後で天気予報を見たら、最低気温はマイナス2度だったらしい…!!

寝袋の性能は、マイナス5度でもOKのはずだが…
あの表示は「マイナス5度でも死にませんよ」ってことで、快適かどうかはまた別なのね。
そして、むしろアルミシートがダメだったかもしれない。
発汗によって生じた水分が、アルミシートの内側で結露して、それが体温を奪ったのかもしれない。
アルミシートは内側ではなく、アウターとして使うべきだった。


じゃあ日中はどのくらいかっていうと、それほど飛ばさずに走れば、それほど寒くはない。
その辺をブラブラするくらいなら、長袖のシャツを着ていれば十分。
なもんだから、L2-B、シンプソンズのスタッフスニーカーという出で立ちでエアーズロックまで走る。
ブーツと革ジャンで山登りはキツいし。

今思えば、こういうカッコで走ってた方が楽だったのかも。
威圧感も無いし、もっと沢山の女の子とお知り合いになれたかもしれませんね(笑)。

キャンプ場から麓まで大体20km。
ほんのチョイ乗りツーリングだ。

麓からエアーズロックを見上げると、延々と鎖が打ち込まれている。
こいつに掴まって登るのだ。
「何よ、そんなものいらないじゃんよ」と岩場を駆け上がる。

ところが、である。

最初の元気は何処へやら、だんだん太ももが張ってきて、ついには座り込む始末。
息の上がったオレを尻目に、じいさんばあさんが追い越してゆく。
「お若いの、しっかりせいよ」なんて言われたりして。

分かっちゃいるんだが、『呪い』がかかったように足がうごかない。
疲れてるんじゃなくて、マヒした感じ。ひょっとして、何かの呪いだったりして…?

エアーズロックもこんなヤツには登って欲しくないだろうなあ。
「休むくらいなら、最初から登るなよ」と言われた気がして、今一度気合を入れる。
歩き出した途端、今度は今までの疲れがウソのように消え去り、足も軽くなった。

さっきのじいさんばあさんを追い越し、時には駆け足で登ってゆく。
そんなもんだから頂上に着いたときは「ありゃ、もう着いちゃったよ」とあっけなく感じた。

頂上と言ってもあのような形なので、ゴツゴツした岩場が広がっているだけ。
…ではないのが、さすがリゾート地。
天辺まで登った記念に『ワタシはここまで来ました』カードを入れるポストのようなものがある。
ちなみに、カードはリゾートにて有料(笑)。
友達にはビジターズノートがあると聞いてたんだけど…聞き間違いだったかな。

それ以外何もないのかというと、所々に木が生えていたりする。
ホントは歩いていい場所が限られているのかもしれないけど、オレはエアーズロックのてっぺんをくまなく歩いた。
 
すでに見慣れた地平線のパノラマだが、ここから見るとさすがに絶景。
人っ気のない場所に腰を下ろし、ボンヤリと目の前の景色を見つめる。
 
ここまで走ってきた道を思い出していると、いつの間にかこれまでの人生を振り返っていた。
振り返ると言っても、25年程度の人生だが。
いいこともあったし、いやなこともあった。
 
そういう全ての出来事が、今の自分を作っている…当時はそこまで達観出来なかったが、心を曇らせる出来事にいつまでも悩むことが「バカバカしい」と思えるようになった。
自分の生き方に余裕を持てたというか、こだわりという名の頑なさがなくなったというか…
とにかく、そんなとこだ。
 
あと、出会った全ての人が、幸せでありますように…とも。
誰に祈るわけでもなく、素直にそう思っていた。

旅は人を賢者にしないとかいってたけど、そうでもないらしい。
少しだけ、オトナになったじゃん、オレ(笑)。
とかいいつつ、実は「せめて、もうちょっとだけ、女の子にモテますように」とも祈りました。

あと、すげえビックリしたのは、水溜りに魚がいたんだよね。
メダカをちっこくしたようなヤツ。
いったいどうやってこんな所に来たのか…
人が行かないような端っこまで歩いてみたけど、本当に不思議なところだ。
アボリジニが聖域にするのも分かる気がする。

登ってから言うのもなんだけど、本来アボリジニはエアーズロックには登らない。
基本的には観光客にも登って欲しくないそうだ。
登ったところで周りは地平線だけ。ちょっと離れたマウント・オルガが見えるくらいだ。

やはり、エアーズロックは、ちょっと離れたところから見るのがいい。
特に、夕日に照らされ、赤く輝く姿は素晴らしい。
また、滅多に降らない雨につつまれた写真もすごかった。
キャンプ場の近くから眺めた時は、美しさに我を忘れ、しばらく突っ立っていたもの。
ほれ、富士山が好きな人は「登る山ではなく、愛でる山だ」って言うじゃない。
登ってしまうと、そっけない岩のカタマリなのよ。

オレはバカだから高いところが好きなようだが、自分を教養のある人間だと思うなら、登らないのが正解だ。
間違っても、天辺に登ったあげく、素っ裸で踊ったりしないように。
身に覚えのある人いるでしょう?いませんか?
本当に神様がいるかどうか別として…

「ここは、私たちの聖地です」「登らないでくれると、ありがたい」

と言ってるくらいの場所だから、あんまり変なことしてはいけないよね。
いくらイスラム教に詳しくなくても、メッカで裸踊りなんかしようって思わないでしょ?
神社の鳥居に登ったりしないでしょ?
それと同じ。
※2019年10月26日よりエアーズロックは登攀禁止となった。
 
もし、次に訪れる機会があるなら、周囲のキャンプ場で椅子に腰かけながら、ノンビリと景色を楽しみたい。
果たして、そんな幸運に恵まれるかどうか分からないけど。

日中はこんな感じで快適だったのだが、やはり夜になると冷え込みがキツい。
寒くなると体力が奪われ、疲れやすくなり、疲れは事故の元になる。
何とかならんものか、と頭を抱えるも、どうにもできず。
またも、ガタガタと寒さに震えながら眠りに着いた。

【移動距離】
Alice Springs – Ayers Rock 463km

■1997年 6月22日 Mt,Olga 風の谷 

翌日、9:00頃にテントから這い出し、マウント・オルガへ出かける。
マウント・オルガは山というかドーム状の岩山が集まったような、これまたけったいな所だ。遠くから眺めると、溶け出したアイスクリームの群れにも見える。
この周囲は鋭角で硬く赤茶けたシルエットの岩が多いせいか、カーブを描く稜線はちょっと新鮮。

風の谷と呼ばれるハイキングコースは、『風の谷のナウシカ』の舞台設定に影響を与えたと言われている。
一周4・5kmのコースはまさに風の谷。
山と山の間を縫うようにして設けられたハイキングコースには、時折強い風が通り抜ける。

山の裾野には美しい野原が広がり、山のいただきも緑色に彩られている。
アリス・スプリングスとはまた違った意味で、自分が砂漠のど真ん中にいることを忘れる場所だ。
 
と、ここまでなら神秘的で美しいのだが、やたらと多くのハエがいる。
普段の何倍増し?というくらい、ハエがよってくる。
気になる人は養蜂家が被るようなネットだの、つばの部分にハエを追い払う飾りがブラブラしている帽子が売っているので、そいつを使うのがいいだろう。

【移動距離】
Ayers Rock – Mt.Olga 54km

■1997年 6月23日  Kings Canyon 壮大な眺め

朝も早よから…といいたいところだが、今日も起きたのは9時を回ってから。
普通、寝るところが変わったりすると、結構早起きになるものだが、街に住んでいた時と同じように「遅寝遅起き」スタイルに戻ってしまった。
ようするに「流れ者生活」が、日常生活として身体に設定されてしまったのだろう。
 
10時には身支度を整え、3泊したエアーズロックを立ち去る。
今日の目的地は、300kmほど走った先の『キングスキャニオン』。
キャニオンて言うくらいだから渓谷なんだろうが、あんまり期待は出来ない。
この平べったい国にそんなに凄い凹凸があるもんか。

14時過ぎに到着、テントを設営してから出掛ける。
そして、着いてビックリ!
前言撤回。

日本にも山あり谷ありの景色を拝むことは出来るが、それとはまた違う雰囲気。
断崖絶壁と深い緑のコントラストは、まるでヨーロッパの山岳部だ。
トールキンの『指輪物語』に出てくる「裂け谷」はこんな感じだろうか?
裂け谷には、こんなに多くのハエはいないだろうけど(笑)。

切り立った絶壁の端まで行って、恐る恐る下を覗くと「ああ、ごめんなさい。許してください」てなほどおっかない。
もし、ここで周囲1メートルくらいが崩れたらどうなるんだろう。
どうなるも何も真っ逆さまのペチャンコだ。
 
「んなことあるわけないじゃん」と言うなかれ。
下の方にはどう見ても最近崩れ落ちたような岩盤がゴロゴロしているのだ。
ロイター発共同のネタにはなりたくなかったので、早々に端っこから離れる。

エアーズロックもマウント・オルガも良かったが、オレの中ではこのキングス・キャニオンが一番。
あとでオージーに「あそこが一番良かった」って言ったら「そのうちエアーズロックを上回る観光地になるはずだ」とのこと。
エアーズロックを訪れるなら、絶対ここまで足を伸ばすべきだ。
案内には4時間くらいかかります、と書いてあったが1時間そこそこでクリア。
もしかして、元気を取り戻しているのか?
ノーザンテリトリーは、こんなところが沢山あって、東海岸よりも楽しく感じられた。

この高低差!高所恐怖症の人は端っこには行かないように。クラっときてそのまま急降下だ。

 【移動距離】
Mt.Orga – Kings Canyon 355km

■1997年 6月24日  Ross River Historic Homestead 幽霊と遭遇?

珍しく早起き。
例によって、朝晩は冷え込みがキツい。
ダーウィン、キャサリン辺りは暖かいそうだが、ここから1000kmも先だ。
日本だって1000kmも離れたら…東京と博多くらい?
そりゃ気候だって違うでしょうよ。

エアーズロック周辺を十分堪能したので、今度はアリス・スプリングスの面白そうなスポットを探してみる。
見つけたのが『ロス・リバー・ホームステッド』(現在はRoss River Resort Northern Territory)
西部開拓期のムードが残るところらしい。
オーストラリアなのに「ウェスタン」は変だけど、とにかく雰囲気はそんな感じだ。

場所はアリスから東に80km。しかし、キングスキャニオンからは400kmくらいあるのか?
9時過ぎに走り出して、到着するまで6時間近く走った。
道はそんなに大きくなくて、時々ダートになるので要注意。
といっても、舗装されていない程度のもので、ガレ場やら泥やらの激しい道ではない。
看板も出ていたはずなので、迷うことはないだろう。
着いた頃には、首や肩が痛み、手がかじかんでいる。
 
ここにはラクダやらロバ、馬が飼われており、ちょっとした牧場みたいなものだ。
受付にはレストランがあって、美味いものを食わせてくれそうだったのだが、贅沢も出来ないので今回はパス。
といっても、次回があるかどうかは分からんが。

ただ、着いてから分かったんだが、キャンプサイトに行くには水なし川を越えていかなければならない。
フカフカの川砂にハンドルを取られながらも、絶妙なバランス感覚で川を渡り切る。
自信のないヒトは、素直に降りるか荷物を降ろして渡った方が無難。
横着すると、ひっ転んでしまいます。

キャンプ場の宿泊客はオレひとり。
街から離れているので、夜ともなれば辺りは真っ暗。
小さい頃から幽霊だのお化けが滅法苦手なオレは、便所に行くのも怖かった。
しかも、便所の鏡がやたらと大きくて、余計なものまで映りそうな雰囲気。
あんまりにも怖かったので、「ひとっつ人より力持ちぃ♪」と口ずさみながら用を足した。

日記も書き終え、もう寝ようと思った瞬間…かすかに子供の笑い声が…
空耳でしょう。そう、自己暗示ですよ。
言い聞かせるも、やっぱり子供たちの声が聴こえる。
そうこうしているうちに、足音まで…?
おいおい勘弁してくれよ。
ここまで来てユーレイに襲われるのか?

お経を唱えりゃいいものか、海外だからエコエコアザラクとかエロイムエッサイムにすべきかとアレコレ悩んでいたら、今度は大人の男のハッキリした声が聴こえてくる。おそるおそるテントを開けると、いつの間にか、遠くの方に親子連れがテントを張っていた。
どうやらシャワーを浴びているうちに、キャンプ場へ入ってきたようだ。
それにしても、本当に怖かった(笑)。

【移動距離】
Kings Canyon – Ross river homestead 401km

■1997年 6月25日 ~ 26日 Alice Springs 豪州一周計画変更!?

朝、ロバと遊んでいたらスタッフがメシをご馳走してくれた。
メニューはダンパーとビリーティ。
ダンパーとは、パン生地を焚き火が終わったばかりの灰の中に突っ込んで蒸し焼きにした蒸しパン。
ビリーティはブリキの缶で沸かした紅茶だ。どちらも開拓期の定番メニュー。
大して美味くもないと踏んでいたが、なかなかイケる。

ブリキの缶で高茶を沸かしている。ダンパーの写真は撮り忘れ(涙)。

ここも、ひなびた感じのいい宿つーかキャンプ場だった。
アリス・スプリングスにおなかイッパイになった旅行者なら、こんな素朴な所もいいんじゃないだろうか。

明るいうちにアリス・スプリングに戻り、1週間で1000km以上も走ったのでカワサキでオイル交換とグリスアップをやってもらう。
過保護かも知れないが、まめなオイル交換は性能維持の一番の近道だ。

グリスアップしてもらって分かったが、オーストラリアの細かい赤砂はベアリングの方まで潜りこんでいた。
この砂はホントに厄介で、砂というより粉。
タンクの中にまで入ってゆくようだ。
エアークリーナーボックスや、フューエルコックのフィルターも要チェック。
 
走り通したので、とりあえず2日ほどYHAで休憩。
空いててラッキー。アリスの最低気温も0度くらいだったらしいし。
ちょうどこの日、山田さんから連絡があり、テナントクリークで落ち合うことになる。

山田さんはそろそろゴールが近づいている。
アリス・スプリングス近辺を回った後は、砂漠を抜けてパースへ。
パースからアフリカへ出国するので、バイクの運搬に関する情報収集を手伝うことになる。

翌日は完全休息日。
郵便局に行って写真や手紙を日本に送ったり、Mr.Bike用の原稿を執筆。
午後になって、現地の『フィンケ・レース』に参加した新潟出身の榮野さんと出会い、ケアンズのユースで一緒だった四輪旅行者の『和尚』と同乗者軍団と再会。再会を祝してスーパーからエミューとカンガルーの肉を購入。
焼き肉パーティを開く。

塩胡椒での味付けだったが、カンガルーは限りなく肉に近いレバー、エミューは焼き鳥のカシラといったところ。
やはり、レストランで食べた方が断然美味い。
ところで、この栄野さんて人は日本人初の参加者にして、レースを完走したという。
現地の新聞でもクローズアップされていた。物静かで人当たりのいいお兄さんだった。

この頃、オレの旅に転機が訪れる。
他の国を旅した人の話を聞いているうちに、自分でも行きたくなったのだ。
参考までにシドニーで旅行会社に勤める友達に相談してみたら、安くヨーロッパを回るチケットを手配できるという。
一応、見積もりを取ってもらい、もう少し考えてみる。

アリス・スプリングスを散策。東京まで6578km。
上に持っているのがカンガルー、下がエミュー。
YHAの宿泊客と焼き肉パーティ。

【整備記録】
オイル交換
グリスアップ

【移動距離】
Ross river homestead – Alice Springs 83km

■1997年 6月27日  Tennant Creek ゼファー姐さん登場

ハイ、これが「弾丸道路」の典型です。前も後ろもこんな感じ。
故障したらシャレにならない、という意味が分かるでしょうかね(笑)。

バイクもすっかり赤茶けている。

「自撮り」のハシリ。
どうやってシャッターを押すか、ライダーたちは研究を重ねたものである(笑)。
ちなみに、この時はカメラを上下逆に持って、親指でシャッターを押していた。

スウェーデンから来たというライダー。各国から沢山のバイク乗りがやってくる。
彼の荷物にもジェリ缶が積まれているのが見える。ビッグタンクとジェリ缶が定番。
 地平線まで一直線まで伸びる道路とは言え、コイツを抜き去るのは一苦労。全長およそ50mのRoad Trainだ。
ガソリンスタンドの敷地内で飼われていたエミュー。彼らの仲間を食べたことがばれてしまったのか、非常に攻撃的だった(笑)。
 アボリジニの女の子に「カワイイ鳥さんだね」と言ったら「アタシたちは食べるけどね」だって…そりゃそうだ。

今日もがんばって500km走行。
再びテナントクリークまで北上する。
1時間も走らないうちに、手がかじかんでくる。
チョコレートをかじりながら、頑張って走り抜く。

テナント・クリークで予定通り山田さんと再会。
赤道に近いダーウィンから下りてきた山田さんは真っ黒に日焼けしていた。
寒さに震える毎日を過ごしてたオレとは正反対だ。

とはいえ、これから山田さんも苦労するはず。
暑いところからきたのだから、なおさらだ。
「がんばってよね、山田さん(笑)」と脅しておく。
現に外でタバコをふかしている間も、オレよりも寒そうだったし。

外でブルブル震えていたら、スペインから来たという角刈りのねえちゃんに声を掛けられた。
どうやら、オレのマシンが気になるらしい。
彼女も故郷でナナハンのゼファーに乗っているとのこと。

その前はBMWに乗っていたらしいが、水平対向エンジンは短パンで乗ると脚を火傷するんってで、乗り換えたらしい。
ものすげえ理由だ。

こういうノリ、個人的にオレは好きである。
「カワサキ、サイコー」と連呼する彼女を見て「ああ、カワサキ狂はどこにでもいるもんだ」と感心する。
BMWで思い出したが、ケアンズで出会ったビーエムおやじがここにやってきたらしい。

ユースの主が言うには、シャツ一枚でやってきたそうだ。
何でそんな無茶をするのかと思ったら、途中のキャンプ場で無くしたという。
イマイチおつむが頼りなく見えたオヤジだったが、やっぱりアホだった(笑)。

そんなビーエムおやじも、嫌いかって言われたらそんなことはない。
ゼファー姐さんもビーエムおやじも山田さんも榮野さんも、みんな愛すべきライダーなのだ。
そんな彼らと、いつかまた出会うことはあるのだろうか?
寒空に光る星たちを見ていたら、ついそんな切ない気持になってしまった。

【移動距離】
Alice Springs – Tennant Creek 508km

■1997年 6月28日  Daly Waters 豪州縦断リヤカー野郎  

山田さん、オレ、榮野さん…奇跡の3ショット。
 いつか、また会うだろうか、とか書いていたけど、2015年現在、二人とは今も連絡を取り合っている。
 特に山田さんは、2年に1回くらいのペースで会っている。いまじゃ3人とも、立派な子持ちのオッサンだったりする(笑)。
 相変わらず3人ともバイクに乗ってますけどね。

山田さんと分かれ、オレは北上。
北上するにつれ、寒さもだんだん和らいでくる。
午後になってからは、さわやかな日差しが暑くさえ感じる。

3時過ぎ、弾丸道路の彼方に妙な車を見つける。
いや、それは車ではなかった。リヤカーを引いた少年だ。
彼の名前は沢君。19歳になるこの若者は、ダーウィンからアデレードまでリヤカーで旅しているのだ。

何ていうか、理屈なんていらないね。
無意味というヤツもいるかもしれんが、そんなこと言ったら、何で旅をしようが、旅そのものすら無意味になる。
挑戦することに意味なんていらない。いや、彼にしてみれば挑戦してる意識などないかもしれない。

やってみたいと思ったことをやる。
行動に理由をつけたがるのは、頭でっかちの野郎だけだ。
そして、それが屁理屈になっていることに本人だけが気づかないものだ。

ときどき、こんなピンボケ写真になるのも、もはや前世紀の遺物か…

この日は400kmちょい走っておしまい。
この辺まで来ると夜になっても全然寒くない。
むしろ、ほどよく暑い。

「たったこれだけで…」と驚くが、今自分のいる場所から400km離れた地点を地図で見てみるといい。
東京から400kmの場所はどこだ?
大阪なら?福岡なら?札幌なら?
気温が変わるのも、納得するはずだ。

ここのキャンプ場は3$で泊まれるので安い。
キャンプ場がメインではなく、Daly Waters Histric Pub という昔からあるホテル。
レセプションを兼ねた飲み屋には、何故か女物の下着が沢山ぶら下がっている。
家族連れも多いというのに…どうなってるんでしょ?

この国、客から変な記念品をせしめるバーが多いのだ。

久しぶりに心地よいシャワーを浴びて、髪が乾くまでブラブラしていたら、公衆電話で金髪の女の子が聴いたことも無い言葉でしゃべっていた。
相槌を打つ時に「ヨー、ヨー」と言っているのは、何処の国だろうか。
いろいろな国の人がいるなあ、どこから来たコたちだろうなあ、と思いながら通り過ぎた。

【移動距離】
Tennant Creek – Daly Waters 405km

■1997年6月29日 Mataranka 海外発温泉!

あつい!


暑い!


熱ぃー!!


どうなってんだ、この暑さ。
すでに気候は亜熱帯。うだるような暑さは、全開バリバリの真夏だ。
人間ってヤツは本当に身勝手だよね。
つい数日前は、寒い、寒いと泣きそうに震えていたのに、今度は暑い、暑いと悪態をついている。

ここはマタランカ・ホット・スプリングス。
つまり、マタランカ温泉だ。

ここは川の底から温泉が涌き出ているオーストラリアでも有名な温泉。
といっても、水温は36度くらいだが。
オージーたちは大人も子供もおおはしゃぎで泳ぎまくっている。

「おっし、オレも泳ぐぜ」と全裸…ではやばいので、カットオフしたジーパンになって泳いでみる。
深いところは身長175cm以上はあるオレでも、あっぷあっぷ。
それでも子供は平気な顔して泳いでいる。

温泉というより、温水プールのノリ
こういう写真は「Please take picture…」とお願いしてシャッターを押してもらう

前にも言ったかもしれないが、オレは金槌…いや、プラハンくらいだ。
とにかく、そんなに泳げる方ではない。調子に乗っておぼれるのもカッコ悪い。
それに、水から出るとちょっと寒い。
天気はいいのだが、まだまだ風が冷たい。
ガタガタ震えながら、テントに戻って着替える。

ところで、ここにもユースはあるのだが、オレが見た中で最も汚いユースだ。
陰気臭いし、キッチンは汚いプレハブ小屋だし。
テントの方がよっぽど快適だ。
泊まる人たちは、もっとキレイに使いましょうね。

夕方頃、DR350に乗った日本人ライダーがキャンプ場にやってくる。
彼の名前は城さん。飄々とした優男風だが、日本ではハーレーとGPz900Rに乗っているイカついライダーだ。
持っていたオイルを安く分けてあげた代わりに、ビールをおごってもらう。

御馳走してもらったから言うわけではないが、ナイスガイ。
オレが会った限り、日本人のライダーは、みんないい人ばかりだ。
向こうがどう思っているか知らんが。

【移動距離】
Daley Waters – Mataranka 167km

■1997年 6月30日 ~ 7月1日 Katherine ワニの棲む川をゆく

暑い中、ダラダラと走る。今日の目的地はキャサリン。
途中、Cutta Cutta Cave(カタカタ洞窟)へ立ち寄る。 
洞窟の中は涼しくて快適。
みんなバスツアーで来てたようで、革ジャン姿のオレは思いっきり浮いていた。

こんな写真だと、よく分からないかもしれないが、5億年前から存在する洞窟らしくて、コウモリだのが飛んでいるらしい。
鍾乳洞とか洞窟に興味がないとつまらないかもしれないが、国土全体が平べったいので、たまにはこういう場所もいいのではないだろうか。 

キャサリンに到着したのは夕方前。
ユースはここも満室。ガッカリだ。
ハイシーズンは、何はなくとも、まず予約。

「この人、何でユースにこだわるのかしら?ひょっとしてなんちゃってアウトドア野郎なの?」
「ああ、きっとおねえちゃんが大好きで、あわよくば泊まってる女の人を何とかしてやろうって考えてるんだわ」
「やあねえ。茶髪のロンゲでこんなに暑いのに革ジャン着てるし。こういうライダーって、やっぱり危ない人なんだわ。そうよ、きっと手を握られただけでも妊娠するかもしれないわ」

とか言わないように。
前にも言ったけど、バウチャー(回数券)を使いたいからなのね。
それに、キャサリンではカヌー遊びをすることになっていたので、キャンプ場に荷物を置き去りにしたくなかったのだ。
仕方なく、この日もキャンプ。

ここで、さらなる大なる失敗。
カヌー遊びが目的だったのに、渓谷とは反対側の街中に近いキャンプ場を選んでしまったのだ。
山田さんが「川のそばにキャンプ場があるからさあ…」とか言ってたのをすっかり忘れていた。
暑さで頭をやられてしまったようだ。

これが、テント泊での夕食。豪華版。
ステーキ肉を食っているから豪華というわけではない。
生肉やスープに入れる野菜を買えるくらいのスーパーがすぐ近くにあり、こうして芝生の上で食事が出来るキャンプ場に滞在できる、という総合的な要素をひっくるめて”豪華”なのである。

ブーツのベルトにマグライト(当時はLEDじゃなくてムギ球の薄暗いヤツ)を挟めてるのは、食卓に明かりを取るため。
ここに差すとちょうど具合がいいのだ。
当然、そんなに明るくないから、暗くなる前に食事と後片付けを済まさなければならない。
今なら軽いヘッドランプもあるんだけどね。

翌朝、早起きしてカヌー乗り場へ向う。
キャサリン渓谷は地図をもらうまで分からなかったが、いくつものステージに分かれている。
ある程度進むと浅瀬やゴロゴロした岩場で川が遮断されている。
これがステージの区切り。

行こうと思えば奥地まで進めるが、日帰りでは頑張っても3ステージまでが限界。
しかも、浅瀬に来たら自分でカヌーを担いでいかなければならないので、女の子にはちょっとつらいかもしれない。
行きは流れに逆らって進むのだが、かなり緩やかなので苦労はしないはず。
気分はチキンラーメンのCMだ。
んで、ステージをクリアすると、カヌーを担いでエッチラオッチラと岩場を進む。
この岩場が曲者で、滑って転ぶ人がたくさんいた。滑りにくい靴を履いてきて正解。


黄金の蛇を発見!「お金持ちになりますように!お金持ちになりますように!お金持ちになりますように!」よし、3回言った!! 

そういや、すげえオージー家族がいて、タイヤのチューブを浮き袋にして泳いで攻略してるのよ。
ワイルドなのか、カヌーのレンタル料をケチってるのか…
しかも、一応ワニが棲んでるだぜ。
淡水のワニは人を襲わないっていうけど、「きれてなーい」の安全カミソリで肌を切ったオレとしては、何かの間違いがあるとイヤなので、ここでのダイブはパス。ていうか、泳ぐほど暑くはないでしょうよ(笑)。
オーストラリア人は丈夫だよね。

思う存分楽しんだけど、帰りはもうヘトヘト。
何が疲れるって、カヌー運びが一番疲れる。
帰りは運転するのも大変だった。

キャンプ場に帰ると、四人の日本人ライダーが集まっていた。
とりあえず、荷物を片づけてから彼らに声をかけてみる。
「あーやっぱり日本人だったんだ」
「何かそうじゃないかって皆で言ってたんですけど、違ってたらアレだよね、とか言ってたんですよ」
「ハッキリ言えよ、怖そうだったって」
 
そーなんですよねー。
普通、日本人ライダーといえば、オフ車でアウトドアっぽいスタイルですが、あたしゃ、茶髪に革ジャン。
バイクは真っ黒くてイカつい。
こっちから、フレンドリーな態度でいかないと、基本的に声をかけてもらえないのね(涙)。
一通り自己紹介的な感じで挨拶してからは、久しぶりの酒盛り。

【移動距離】
Mataranka – Katherine 106km

■1997年 7月 2日 ~ 7月 4日 Darwin 最果ての都

朝になって出発しようとしたら、日本人ライダーのバイクが故障。
バッテリーが上がり気味のうえ、スターターが損傷。
女の子ライダーも一緒になって押しがけするが、ウンともスンともいわない。
600ccの単気筒だから、よほどの力で押してやらないとクランクが回らないのだ。

仕方ないので、オレのマシンで牽引してショップへ持ち込むことに。
この状態でセルを回してみたいというので、試してみる。
バイクで引っ張るのでギアは1速。すると、見事にエンジンが目を覚ました。

さすがはメーカースペック94馬力。
周りの宿泊客からも拍手が沸き起こる。しかしながら、キャサリンは田舎。パーツは欠品。
たったひとつの部品でいとも簡単に壊れてしまうのがバイク。
幸い、一緒に走るライダーが同じ車種だったので、一応走ることはできたようだ。

ここで四人ともお別れ。
12時頃、オレは一路ダーウィンを目指す。
途中で、酔っ払いの危ないヤツに絡まれたが、適当にスゴんでやると大抵は引いていく。この頃になると、そんなのはトラブルのうちに入らなくなっている。

シドニーではアボリジニのアウトローと一触即発になったり、拳銃を構えた警察官たちに取り囲まれたり、チャイナタウンで日本人留学生を狙った連続強盗犯をとっ捕まえてやったり、とトラブルの連続だった。
それらに比べたら、酔っ払いなんか、ちょろいものである。

3時過ぎ、ダーウィンに無事到着。
オレの旅にとって、最北端の場所である。
前回の失敗を教訓に予約を入れていたから、すんなりと宿泊。
予約の電話をスラスラ入れられるんだから、大したものである。
いつの間にか、英語も上達していた(笑)。

ちなみに、自力で行ける最北端は前にも書いたがCape york。
オフ車でないと行けないが、過酷な道となるので万全な情報収集と準備が必要である。
川も深いので、くれぐれもマシンを水没させないように。

それにしてもダーウィンは暑い。
これで冬っていうんだから、夏になったらどうなるんだろう。
夏は雨季になるので、それはそれで大変らしいが。

よって、ここダーウィンも宿という宿が満室。
オレはキャサリンから予約を入れていたのでセーフ。
ハイシーズンには「予約」という技が有効的だということを、ようやく知ったという…(笑)。
それでも、宿泊延長は不可能とのこと。

ここのユースはプールやエアコンがあるので、相部屋とはいえリッチな気分になる。
こんなんで喜ぶとは、安いなオレも。
YHAで、シドニーのカラオケ屋エコーポイントで働いていたという女の子、福岡出身のかおりちゃんと出会う。
当時、エコーポイントはちょっと寂しい通りにあったので「あれはカラオケ屋のフリをしたコワイ店だ」と思っていたけど、普通のカラオケ屋だった(笑)。
彼女もまたオーストラリアで暮らし、長距離バスのグレハン(グレーハウンド)でオーストラリア中を旅しているらしい。

ダーウィン自体にはそれほどめぼしいスポットは無い。
何でみんなが集まるかっていうと、この街からたくさんのツアーが出ているのだ。
特に宿泊客の大半は、カカドゥ国立公園へ行くといっても過言ではない。

カカドゥは四国くらいの面積で、多くの自然や古代の壁画が残るアボリジニの領域である。でも、一般ツアーではそれほどくまなく見ることはできない。
4WDの車があれば別だが、それ以外はツアーに参加してもバイクに乗っても行き先はほぼ同じ。
見る所は限られている。

よって、ダーウィンではアリス・スプリングス同様、骨休め。
ユースにはこれまた多くの日本人がいて、新しい友達が出来たり、別の街で一緒だった旅行者と再会。

夜に友達とユースのプールサイドをブラブラしていたら、宿泊客らしき兄ちゃんが何か話し掛けてきた。
ボソボソとした英語だったのでよく聞き取れず「?」とクビを傾げたら、行ってしまった。

「何だ、あの野郎失礼なヤツだ」
「何だか、違法薬物を売ってくれって言ってたわよ」だって。
あのなあ…何でそういう風に見えるかなあ?
この国に来たその日に売人だと勘違いされたし。ホント、やんなっちゃう。

ダーウィンでは、またも再会した和尚とその友達ユキちゃんと「バットマン&ロビン」を、かおりちゃんとトミー・リー・ジョーンズ主演の「VOLCANO」を観たり、フリーミールで飯を食ったり、普通の観光客モードに。

意外に面白かったのが、西側のビーチに面した公園で開かれるナイトマーケット。
夜遅くまでやってるんだが、夕方頃には着いていた方がいい。
海の彼方に沈む夕日が美しいのだ。
マーケットにはいろいろな屋台が並び、怪しい食い物も並んでいるのでいろいろ食ってみることだ。

そういや、ここのマーケットにドラッグレースのマシンが展示されていて、やはりというかZ1のエンジンを使用したマシンもあった。
ドラッグマシンに跨っている写真は「Zで旅をしている」とか言ったら「是非乗ってみろ」と、スタッフに半ば無理矢理引っ張られたのだ。
このオレンジのZ改は、なんと女の子がライダーなのだそうで…

マーケットでは、いろいろな人たちと再会。
スペインから来たゼファー姉さんをはじめ、あちこちで出会った人が「おーい!」と声をかけてくれる。
ありがたい話でがんす。

ダーウィンでも釣り糸を垂れてみたが、一匹も釣れず。
それと、ダイネーゼの上半身プロテクターは荷物になってヒドイので、日本へ強制送還。
バイクはカワサキショップでタイヤとオイルを交換。

ジャック・フルーツなど南国の果物がたくさん。
ヤシの実ジュースでご満悦。
ナイトマーケットの店は物を売るだけではない。これはエクステのはしりみたいなもの。
年配者や家族連れ、そして動物からは大人気。残念ながら、年頃のお嬢さん方からは、見向きもされない。
革ジャンを脱いで白いTシャツになれば、ほら家族連れとも和気あいあいでしょ(笑)。
美しい海だが、ここには人食いワニもいるそうなので要注意。
丸Zエンジンを使ったドラッグマシン。
こちらは、カタナを使ったドラッグマシン。だけどエンジンはヘッドカバーを見る限り、GSっぽい。
ナイト・マーケットのにぎわい
「でっけぇ焼き鳥だなあ。何だろうなあ」と思って、辞書で引いたら「ハト」だって…ハトいただきました。

【整備記録】
タイヤ交換
オイル交換

【移動距離】
Katherine – Darwin 316km

■1997年 7月 5日  Jabiru (Kakadu national park) 生涯最高の夕陽

朝、かおりちゃんに見送られてダーウィンを出発。
今日の行く先は、カカドゥ国立公園。
何となく、マシンの調子がよくない。アイドリング時に、咳き込むような音を立てる。
とはいえ、燃費も変わらないし、フィーリングも変わらない。
キャブレターの調子が悪いだけなら軽整備で大丈夫だろうが…
ちょっと不安になる。

赤道に近いだけあって、暑さも今までのカラっとしたものではなく、ムシムシする。
それでも時期的には乾季。
この時期に滝を見に行ったヤツが言うには、ダートの奥にあるジムジムフォールやツインフォールという有名な観光スポットも、チョロチョロとしか流れてないっていう話だった。

ほんじゃあ獰猛なワニが棲む河に行けばいいやとか思ったら、実は滅多にワニは見れないらしい。
じゃあ何を見るのかっていうと、壁画と景色くらい。
…なんじゃそりゃ。

まずはArnhem Highwayを東に向かって走り、Jabiru(ジャビルー)にテントを張る。
そいで、ちょっと休んでから、Ubirr Rock Paintingsへ向かう。
第一の壁画ポイントなんだが、ここへは夕方前に到着するのがベター。

ここには壁画の他に展望台というか、でっかい高い岩場がある。
実は、ここでは『クロコダイル・ダンディ2』のロケが行われている。
ミックとスーが湿原を眺めてて、ミックが大金持ちだったことが分かるシーンがあったんだけど…観なけりゃ分からないか。

とにかく、夕日の眺めが素晴らしい。ホントなら夜空も眺めていたい気分になるが、日が落ちると閉鎖される。

そしたら、すぐにキャンプ場へ戻る。
でないと、ナイトランになって飛び出してきた動物とクラッシュする。
ここでもどこでも、街中以外のナイトランは要注意だ。

キャンプ場に帰ったら、ディンゴらしき野犬がウロウロしてた。
ついでに言うと、蚊が多いので虫除けもあった方がいいね。 


こういう壁画、本当に何万年もの昔に描かれたとすれば、特定の時代、特定のごく少数の人数によるものなのか、それとも数世代に渡り、技術や画法を継承していったのか。
割と写実的に描かれたものもあれば、方向性が分からないディフォルメもあったり、何やらミステリアス。
特に帆船を描いた絵は「インドネシア方面との交流を示唆している」という話だけど、そんなに海と結びつきが強い民族とも思えないし、実は何か別のものを描いていたのではないかと、小学生の頃ムーを読んでいたオレの妄想は膨らむばかり。

【移動距離】
Darwin -Jabiru 254km

■1997年 7月 6日 Mary River Roadhouse 悲劇の大転倒

ワニが棲んでいるYellow Waterは、ガイドブックにも書いているが、早朝ツアーに参加しないとワニの姿は見えない。
よって、オレはパス。
ちらっと立ち寄って見たがちょいと オレは行けなかったけど、リッチフィールド国立公園のツアーの方が見応えがあるらしい。
行った人の話では、滝の水もそこそこ残っているらしいし。

何で行けなかったのか?
実はとうとうここでクラッシュしてしまったのだ!

この日、ジャビルーから20kmほど下って、そこから12km奥に入ったところにNourlangie Rock Cave Paintingsを見に行って、その後に日本人ライダーから教えられたマイナーな壁画を見に行ったのだ。
 
そこは遊歩道のダートを入っていくところなんだけど、狭いうえに地割れはあるわで大変なところ。ちなみに遊歩道なんで、バイクは入っちゃダメ。
そんなとこを走ったもんだから「何よ、Z1Rでもダート走れるじゃん」と有頂天になったのが大間違い。

あるツアーガイドに「まだ枯れてない滝があるよ。君のバイクでも行けるんじゃないかな」なんて言われて「おう。ほんじゃ行くか」とマシンを走らせる。
目的地はWaterfall Creek Fallsと付近のキャンプ場

40kmの道のりを進み、あとほんの少しでゴール。
だったのだが、転倒は一瞬だった。
正直、何がどうなったのか、今も分からない。
ぶっ飛ばしていたわけでもなかったが、突然マシンが大きく振れ出し、気付いたら地面にヘッドスライディング状態。
シールド越しに砂利がバチバチ当り、ウォレットチェーンに着けていた別のキーホルダーも引きちぎれた。
Z1Rは崖のような路肩に落ちていた。
 
カウルはメチャメチャになり、クランクケースのポイントカバーは真っ二つ。 
さっきまで美しかったマシンは、出土品のような姿に。
 
とりあえず、身体は何ともない…と思われる。
次にマシン。ストールしたエンジンを再起動。
インジケーターは正常、灯火類もOK。
ポイントカバーは…ボルトがひん曲がっているが、圧力がかかるところじゃないので、ビニールテープで埃が入らなければ大丈夫だろう。
頼むぜ、かかってくれよ。

セルを回すと、何事も無かったかのようにエンジンは目を覚ました。
問題は、ここからどうやって這い出すか、だ。

崖のようになった路肩にマシンは吹っ飛んで、オレは砂利道に頭から突っ込んで大の字に。
カウルはメチャメチャ、クランクケースのカバーは真っ二つ。
さっきまでピカピカだったマシンは、出土品のような姿に。

幸い、4WDに乗ったレンジャーが通りかかってくれたので、路肩から引っ張り上げてもらう。
この時の精神的ショックは大きかった。
天狗になっていた自分が恥ずかしかったし…なれてきた頃が危ないってのは、ホントね。

幸い、自力で走れたから助かった。
とりあえずカカドゥを抜けて、キャンプ場へ避難。何とか応急手当でお茶を濁す。

【移動距離】
Jabiru – Mary River Road house 153km

■1997年 7月 7日  Katherine 重傷のZ1R!  

ブルーな気分のまま、キャサリンへ下る。
そのままバイク屋に直行。まったく効かなくなったブレーキを直してもらう。
カウルを固定するステーも折れていたが、ショップでは直せないので鉄工所を紹介してもらう。
 
教わったのは鉄工所なんてもんじゃなかった。
工業用のどでかい機材を作っているホンマモンの工場だ。
ホントにやってもらえるんだろうか。

「こいつ、何とかしてほしいんだけど直りますかねえ?」
すると、汗だくになって働いているオジさんが
「ほんじゃあよ、ほれハンドルにくっついてるのみんな取っちまいな。溶接かけるとき溶けちゃうからよ。終わったら持ってきな」
と快くOKしてくれた。

ハンドル周りのパーツを外して持ってくと
「危ないから、そっちで見てな。あ、でも眩しいからな。あっち向いてた方がいいぞ」
とか言って溶接する。溶接はものの5分くらいで終了。
ちゃんとスプレーで黒く塗ってもらって24$。

ユースに戻ったら、あっちこっちで出会ったワーホリ旅行者たちに再会。
ついでにスペインのゼファー姉さんとも再会。
彼らを相手にさんざん愚痴る。ゼファー姉さんも、本気で心配してくれた。
おかげでスッキリしました。
みなさん、その節はお世話サマでした。

【移動距離】
Marry River Road house – Katherine 150km

■1997年 7月 8日 Kununurra 伝説の女傑、リヤカーさっちゃん

しかし、悪いことは重なるもので、朝になったら洗濯して干してたジーパンが何者かに盗まれる!
あんなボロボロのジーンズを盗んでどうするんだ?

アボリジニの中には、ドロップアウトしているヤツもいるので内陸部の田舎では要注意。
特に昼間から酔っ払ってるヤツなんかには近寄らない方がいい。
アボリジニは元来飲めない身体なので、昼間からいい感じになってるヤツらはアル中だ。絡まれても、無視しておこう。

それにしても、ホントついてない。
ついてないのはオレだけじゃなくて、一緒の部屋の男はオレ以上についてなかった。

朝起きたときから元気がなかったが、だんだん苦しそうにうめき始め、ついにはトイレでぶっ倒れてしまった。
顔は土気色で、「助けてくれ」と虫の息。
慌ててユースの従業員を呼んで、医者を手配してもらう。

どうも昨夜食べたタイ料理があたったらしい。こわいこわい。
ジーンズを盗まれたオレは、仕方なく近所の店でリーバイスのブーツカット(というよりベルボトム)を購入する。

当時購入したリーバイス602。既に廃番のベルボトム。W73ってことは…29インチ。たまに引っ張り出しては、履いております。

10時過ぎに街を出発。再び国道1号線に乗る。
距離計が39999・9㎞を指した時、つまり、スタートから10800kmを過ぎようとした時、地平線の向こうに何かが見えた。
目を凝らすと、反対車線の端っこに人影らしきものが見える。
まさか!
と思った時には通り過ぎてしまったので、少し先でブレーキターンをかましてから近づいてみた。
 
この人こそ、1990年代、オーストラリアを旅したことのある日本人なら、必ず一度は耳にする伝説の旅人、『リヤカーさっちゃん』である。
さっちゃんの本名は、樋口幸子さん。
北海道出身で、これまで日本国内を自転車で回ったこともあるというが、それがどんな経緯でもってリヤカーに進化(退化?)したのかは不明。

さっちゃん曰く、手押し車なので正確にはリヤカーじゃないから「リヤカーさっちゃん」と呼ばれることには疑問らしいが、そんなことはどうでもいい。
 
実は以前、彼女の噂を耳にしたことがあったのだが、さっちゃんを目撃した旅人に出会ったことがなく、都市伝説みたいなもの、あるいは大袈裟に伝わっているのではないか、と疑っていたのだ。
それでも、ある人から「知り合いが、パースを出発する時に見たって言ってた。気合い入れるために丸坊主にしたんだって」と聞いていたので、1号線沿いをパースに向かって走れば、何処かですれ違えるのではないかと思っていたのだ。
 
「いやあ、よもや会えるとは思いませんでしたよ。どっかの街で会った人が、もう帰国したんじゃないかっていうから」
「そんなのムリムリ、私が歩けるのは、頑張っても1日20kmくらいだし」
甲高い声でさっちゃんが笑った。
「みんなバスとかで移動するでしょ?車の感覚しか分からないからなのよー」
1日に20km…オレにとってはアイドリングからクルージングに移って一日のスタートを切る頃、彼女の一日が終わるのだ。
しかも、20kmなんて言ったら、前も後ろも地平線、という時もある。
というより西海岸なんてそんなことばかりではないだろうか。
一体、何処で寝泊まりするんだろう。

「あたし、お嬢様だから、ブッシュとかじゃ寝たくないんです。どっか良いところないですか?」
「さっき、そこで休憩したスタンドがあったんだけど…」
と、地図を確かめるも、数十キロ先。
さっちゃんは「今週中は無理かもね」と苦笑い。

驚くべきことに、彼女はこれが3度目の徒歩旅行で、1回目はダーウィンからアデレード(沢君と同じルート)、2回目はアデレードからパース、んで今回がパースからキャサリンを目指して歩いているのだ!

こういう旅人と会えるのも、また放浪の面白さだ。

終わり間際にいろいろなことがあったNT(ノーザンテリトリー)。
他の州を全て見たわけじゃないけど、ここはすごくエキサイティングなところだった。

というわけで、本日をもってこの州もおしまい。
いよいよ西オーストラリアへ突入だ!と息巻いてたら、州境で食料を没収(涙)。

タマネギやジャガイモを奪われてしまう。
野菜や果物に寄生する害虫の持ち込みを防ぐため、時々州境には検疫所があるのだ。
夕方、カナララに到着、空腹のまま眠りにつく。

オレはただ泊まっただけだが、この辺にはBungle Bungle国立公園なるスポットがある。
面白そうだが、ダート沿いなのでやめておく。
しばらくダート走行は自粛である。


39999km。ゼロから走ったわけじゃないけどね。

【移動距離】
Katherine – Kunnunrra 514km

NT総移動距離  4648km
Barkley Homestead – Tennant Creek 211km
Tennant Creek – Arice Springs 508km
Alice Springs – Ayers Rock 463km 
Ayers Rock – Mt.Olga 54km
Mt.Orga – Kings Canyon 355km
Kings Canyon – Ross river homestead 401km
Ross river homestead – Alice Springs 83km
Alice Springs – Tennant Creek 508km
Tennant Creek – Daly Waters 405km
Daley Waters – Mataranka 167km
Mataranka – Katherine 106km
Katherine – Darwin 316km
Darwin -Jabiru 254km
Jabiru – Mary River Road house 153km
Marry River Road house – Katherine 150km
Katherine – Kunnunrra 514km

NSW QLD Part1 QLD Part 2 NT WA Part1 Finland  France Italy
Canada&USA WA Part 2 SA VIC  ACT  Appendix Appendix2015

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